「や、待って……待ってください!」

 突拍子もない申し出に、全員の血が沸騰したかのよう。冷静に考えられない。
 だけど……社員寮で騒ぎになったら? 詮索されたら?
 私が〝妻〟として雇用されただけだと知られたら?

『間違いなく、お相手は美人でなんでもできるお嬢様よ。料理が得意で、趣味はきっとお茶とお花ね』

 ()()するわけじゃないけれど、社長と釣り合わないという事実を指摘されたら?
 思考がどんどんネガティブになっていく。
 絶対ダメ。社長に部屋まで送ってもらうのだけはダメ。

「社長のお部屋を貸してください……っ」

 酔いの回った頭がくらりとする。口にした返事の意味も深く考えられなかった。



 おそらく都内でも有数だろう高級マンションの地下駐車場で、タクシーが停まる。
 しんとした車内と反対に、全身が心臓になったかのようにうるさく騒ぐ。頭はふわふわするのに。
 社長がさっさと降りると、私の席のほうへに回ってくる。
 シートベルトを外さなきゃ……と思ううちにドアが開いて、社長が身を(かが)める。カチャリ、と金具の外れる音がして、あれ、と思ったときには腕が私の脇に差し入れられていた。

「社長っ?」
「ひとりではまっすぐ歩くのもままならないだろう」
「そうかも……」

 普段の私なら、絶対にこんな気の抜けた返事なんてしない。だけど今は、スーツ越しでもわかる優しくも(たくま)しい腕に支えられるのが酔った頭に心地よくて。つい身を委ねてしまう。ふわっと、身体が浮いた。
 あ、横抱きにされてる……。
 私よりやや高い体温が伝わってくる。社長の香りにも、胸がくすぐられてドキドキしてきた。でも、ぬくもりが気持ちよくて抗えない。
 無意識に、厚い胸へ頬をすり寄せる。