「知沙ちゃんの仕事は丁寧で細やかだから、すごく助かるわ。今年度もサポートお願いね」
「はい、私こそ。社長はこちらで着任の(あい)(さつ)をされたら取引先へ挨拶回りに出られるんですよね。……ところで笠原さん、もしかして体調がすぐれないのではないですか?」
「なんでわかったの? 実は風邪気味なのよ」
「少しですけど足元がふらついて見えましたから……それに顔色も。休めないのはわかりますが、無理なさらないでくださいね。お薬は飲みました? まだでしたら私、市販のお薬を鞄に常備していますから、あとでお渡ししますね」
「知沙ちゃん、ほんとよく気がつくよね。ありがと、助かるわ。とりあえず、顔色だけは隠さなくちゃね。新社長がいらっしゃる前にファンデ塗り直してくる」

 笠原さんが焦った様子で出ていったので、私も新社長向けにととのえた社長室を最後にもう一度見回してから、社長室を出た。
 今日は四月一日かつ新社長の就任とあって、笠原さんだけでなく朝から経営企画室全体が浮き足立っている。
 経営企画室の職場に戻ると、案の定、先に長テーブルについていた先輩たちのあいだでは新社長の噂で持ちきりだった。

「三十二歳だっけ、香港(ほんこん)支社長から役員五人抜きで社長に就任でしょ? さすが東(とう)堂(どう)の御曹司」
「社内報の顔写真を見たけど、モデル顔負けのイケメンじゃない? 早く生で拝みたかったのよ」

 私の勤める『東(とう)堂(どう)時(と)計(けい)』は、今年で創業七十周年を迎える老舗時計メーカーおよび販売会社だ。
 資本金五十億円、年間の売上高はおよそ二千五百億円という規模は国内随一を誇る。
 各地に工場と販売店舗を構え、近年ではヨーロッパに比べて弱いとされていた高級時計市場でも存在感を示すようになるなど、目覚ましい躍進が続いている。
 その大元は、戦前に構えた工房にさかのぼる。
 工房は戦時中に一度は廃業を余儀なくされたらしいが、戦後になって東堂時計として再出発した。そのときの社長が、このたび就任する新社長の祖父。今の会長だ。
 東堂時計はここ二十年ほど会長の婿(むこ)養子である新社長の父が率いていたが、この三月をもって健康上の理由から退任、会長には就任せず引退した。

 そんな歴史のある東堂時計に、満を持して登場したのが若くしてやり手の息子というわけだ。
 御曹司、やり手、イケメンと三拍子が揃えば、興味を引かないほうが無理というものだと思う。