そう思っていたけれど、機会をうかがううちにゴールデンウィークも明けて一週間以上経っていた。
 目の前のノートパソコンから顔を上げて、自席で書類に目を通している社長を見やる。社長は毎日のように外出しているので、今日のような日は珍しい。
 社長室は手前が秘書の席、奥が社長の席と来客用の応接セットというふうに仕切られている。あいだにあるのは内扉つきのガラス張りの壁で、お互いの様子が簡単にわかる構造だ。

 社長室といえば重厚な調度品と革張りのソファというイメージが先行するけれど、東堂時計の社長室はこのガラスとモダンなデザイン家具のおかげで、明るくて開放的な雰囲気がする。
 来客がいるときや社長が集中したいときには内扉を閉めるが、今は扉も開放されている。声をかけるなら今がチャンス。
 だけど熱心に資料を読みこむ姿を見ると、邪魔するのははばかられてしまう。

 もう二時間以上はああしているだろうか。肘をついて書類を読む様子は冷静沈着で、集中しているのがここからでもわかる。
 考えこむときに指先で耳元をとんとんとつくのは、このひと月半で知った彼の癖。
 どうしようかな、と思いながら鍵を使ってワゴンのいちばん上の引き出しを開ける。中から契約書の入った封筒を取りだしたとき、コンコン、と社長室がノックされた。
 役員の誰かだろうと思い、封筒ごと契約書を自席に置いて扉を開ける。現れたのは笠原さんだった。両手を合わせて「ごめん」というジェスチャーをする。

「私のボールペン、インク切れちゃって。知沙ちゃんのペンもおなじメーカーでしょ? 芯の予備持ってない?」
「ありますよ。取ってきますね」

 ペンなら経営企画室や総務にいくらでもあるのに。()(げん)に思ったけど、気にするほどでもないかと思い直す。笠原さんは扉前で待つかと思いきや、社長のほうをじろじろ見ながら私の席までついてきた。
 社長の集中の邪魔にならないかひやひやしながら、私は出しっぱなしにしていた契約書をそそくさと引き出しに戻す。

「やっぱり専務の部屋とは雰囲気が違うわね。やっぱり男はこうでなくちゃ。専務ったら、お茶しにいこうだの肩を揉んでくれだの、仕事する気あるのかしらって言いたくなるのよね」

 私が別の引き出しを探すあいだも、笠原さんは社長に熱い視線を向けたままだ。かと思うと引き出しにあった替芯を私が渡す前に取りあげて、あったあったと歓声を上げた。

「じゃ、これもらっていくわね。助かったわ。社長も、お仕事中失礼しました。そうだわ、よければお茶になさいません?」