「ありがとうございます……! 今つけてみてもいいですか?」
「いや、俺がつける」

 言うが早いか、嶺さんが私の左手を取る。
 にわかに鼓動が速まり、触れられた手が熱くなった。嶺さんに触れられるだけで肌という肌が敏感になってしまうのは、いつまで経っても変わらない。
 私よりひと回りは大きな硬い左手に、私の手が乗せられる。
 嶺さんがつう、と私の左手首を指先でなぞる。
 背中がぞくりとして息をのむと、文字盤のひんやりとした感触が手首に当たった。
 革のベルトで固定される。まるで嶺さんに捕えられたみたい。
 私の〝時〟は嶺さんのもの……なんて。思い浮かんだその考えに、ひとりで赤面してしまった。

「きちんと始めると言いながら、婚約指輪は時機を逸したからな。これは、その代わりだ」
「じゃあこれは、婚約の証……」
「俺のものだという証でもあるな。毎日、(うつ)(けっ)(こん)を残すわけにもいかないから」

 嶺さんが時計を嵌めた私の手首をするりと撫でる。情欲と、愛おしさをにじませた触れかたに、心臓がうるさく脈打ち始める。

「嶺さんっ。そんな人だなんて、ほんっとに意外です! 職場では、仕事ひと筋の疲れを知らない超人だなんて呼ばれてるのに……っ」
「俺が超人ではないことくらい、君は三年前から知っていただろ」

 嶺さんだって疲れるし、体調を崩すこともある。ただ、ふつうの人では真似できないほどの努力も、疲れも、人には見せない人だった。それだけ。
 そんな嶺さんを、私は知ってる。知ってるけど……!

「仮に、俺がなににも動じない超人だったとして、だ。俺をただの独占欲の強い男に変えてしまったのは、知沙だ」
「私?」
「そう、君がかわいいのがいけない」

 首筋に吐息がかかって、頭を屈めた嶺さんの薄い唇が押し当てられる。湯上がりでほんのり上気した肌が粟立つ。
 甘い息が漏れて喉を反らしたら、腰を抱く手に力がこもって顔を離した嶺さんがゆっくりとシャツのボタンを外し始める。
 ああ、男の嶺さんがいる。
「んっ……」
 仕掛けられたキスは、長い夜の始まりだった。