初恋は叶わない。
 なんてよく言うけれど、わたしは運が良かったらしい。


 初めて好きになった人と過ごした時間は、一生忘れられないくらい幸せだった。


 ──だけど、もう。
 いい加減忘れないといけないね。


 五年前の花火大会の日。わたしに何も言わずに姿を消した君のことを、まだ許せないの。


 胸に残り続ける未練を捨てられる日は、一体いつ訪れるのだろう──。



 ヒュ~~~、ッドォーーン‼

 夜の空に大輪の花が咲く。


 あらゆるところから歓声が上がる。
 沢山の人たちに囲まれて、わたしは一人寂しく空を見上げた。


 一拍遅れた後に見る花火は、何だか歪んだ形に見えた。
 それはきっと、一人が憂鬱だからに違いない。


「君可愛いね! 一人?」

「うわまじじゃん。超かわええ」


 下品な笑みを浮かべてわたしに声をかけてきた男二人組。その人たちの顔を見て、思わずため息が零れた。


「……見て分かりませんか」


 自分の口から出た低い声に少し驚いてしまう。だけどすぐに仕方ないかと思い直す。


 ──だって、今日は。

 終わらない哀しみに存分に沈める日なんだから。


「あ、あーそうだね」


 相手の男は気まずそうに目を泳がせて、もう一人の男に耳打ちした。
 それからすぐに二人は背を向け去って行った。


 そんな二人の背中をぼんやりと眺める。


 ──もし、今わたしに声をかけてきた人が〝あいつ〟だったら良かったのにな。


「……っなに、馬鹿なこと考えてんのよ」


 ふと思い浮かんだ叶わぬ願いに、嫌気が差した。


 自分の頭を強く叩いて、重い腰を上げる。

 ……もうこれ以上、ここにはいられない。



 人の波を縫って、ふらふらと来た道を戻る。花火大会から帰る途中でドリンクを売る屋台に寄った。


 ビール缶を開けると、プシュウッと夏らしい音がした。そのままビールを豪快に流しいれる。喉が焼けるように熱い。

 だけど今は、その痛さが心地いい。


「お嬢ちゃん、あんま無理すんなよー」

「えーいっ!」


 屋台のおじちゃんの言葉に酔っ払い気味に返事をする。


 振り返りもせず、片手だけ上げてふらふらと歩く姿はなんて滑稽なのだろう。


 すぐ酔っ払う体質だと知りながらも呑むのをやめられないのは、きっと。


「ただいま、はなび」


 あんたのせいだ───。



 ◇


 ……あれ、わたし、何してたんだっけ。

 ぼーっとした頭で考えを巡らす。


 花火大会に行って、楽しそうに笑う周りのカップルに過去の傷をえぐられて、挙句呑んだくれて。

 そこまでは覚えているのに、その後の記憶が完全に消えている。


 眠っていたベッドから体を起こして辺りを見回すと、そこは私の部屋だった。


「はなび」


 聞こえないはずの声がすぐ近くで響いた。

 わたしの頭は真っ白になって、恐る恐る首を横に動かす。


「はなび、大丈夫?」


 ……っなんで。

 どうしてあんたが、ここにいるの。
 わたしの部屋に、……目の前に。


「……っかお、る?」


 目から一筋の涙がこぼれる。

 自分で制御なんてできなくて、次から次に溢れ出す。


「うん、そうだよ」


 薫は平然とした顔で頷いた。

 そんな薫を見て、どこからともなく怒りの感情が湧いてくる。


「ばか、馬鹿! 今まで何一つ連絡もしなかったくせに、どうして今になって……っ」


 わたしのベッドに腰かけた薫の胸をポカポカと殴る。
 涙でかすんだ視界の先で、薫が少し苦しそうに眉をしかめているのが分かる。


「……泣くなよ、はなび」


 だけどすぐに、薫は困ったような笑顔を浮かべた。



「っ、うるさいー」


 声は情けなく震えている。

 薫が手を伸ばしてきたから反射的によけた。


 ……っ、どうしてあんたが傷ついた顔するのよ。
 そんな顔していいのはわたしだけなのに。


「はなび、俺、」

「いい。聞きたくない。あんたの言い訳なんて」


 私は薫を強く睨みつけた。薫は悔しそうに唇を噛む。


「っそれでも、俺、はなびに謝んなきゃいけないことがあって」


 その言葉を聞いた瞬間、わたしの心が強い拒否反応を起こした。


「やめて! もう何も言わないでっ!」


 聞きたくない、聞きたくない。

 その先に続く言葉を知っているから。


「はなび……」


 自然消滅して途切れたわたしたちの関係に、薫はきっと終止符を打ちに来たんだ。

 そうじゃなきゃ、今さら元カノの元になんか帰ってこないでしょ。


 乱暴に涙をぬぐって、ベッドから降りる。

 すぐに寝室から出ようとしたのに、強い力で薫の手に掴まれた。


「……薫、手離して」


 視線だけを薫に向ける。薫は深く俯いていて、今どんな顔をしているのかは分からない。


 わたしの手首を掴む手に力が入り、思わず眉をしかめた。

 ……痛い。全部全部痛くて、嫌になる。



「……はなびが俺を許せないのはちゃんと分かってる。だからこそ、ちゃんと謝りたくて」


 弱弱しく、それでいてどこかまっすぐな瞳と目が合った。


「っ、知ったような口利かないで。ちゃんとちゃんとって、……ほんと何様?」


 薫は驚いたように目を見開いた。

 まさか、わたしがこんなにも反発する女だとは思わなかったのだろう。


「はな、び」


 わたしを呼ぶ声が震えている。


「ごめん、本当にごめん。俺、何も言わずにいなくなっちゃって……」


 薫はぶつぶつと何かを呟いている。


 わたしの鬱憤は収まるどころか爆発寸前にまで迫っている。


 五年前のこの日、薫は何も言わずにどこかに消えてしまった。
 だけど、わたしが怒っているのはそんなことではなくて……。

 姿を消した後、何の連絡も寄越さなかったことに怒っているんだ。


「……わたし、何度も何度も薫に連絡した。電話だって何回もかけた。だけど、薫は出なかった。あんたのこと、本当に心配してたのに。……っ、大好き、だったのに」


 また涙が溢れ出す。呼吸が上手くできなくて、凄く苦しい。


 こんな情けない姿を薫になんか見せたくなくて、勢いよく薫の手を振り放した。