「お茶会以来ですね、リーゼ様」
「……ええ。お久しぶりですわね、アメリア様」

 どこか不穏な雰囲気に違和感を感じながらも、失礼のないように笑顔で挨拶を返す。
 お茶会での出来事を、彼女は忘れてしまったのだろうか。次はない、という意味も込めて伝えたのに……。

「こんな素敵なパーティーにお一人だなんて。何か問題でもございましたの?」
「特には。今、主人は御者に声をかけに席を外しているだけですわ」
「あら、そう……。大切にされていますのね」

 にこりと笑みを浮かべたリーゼだが、その笑顔に何か隠されているような気がして落ち着かない。何を企んでいるのかわからず、背筋に冷や汗が流れる。

「私、心配ですのよ」
「心配……?」
「ええ。あなたが」

 リーゼはアメリアに近づき、扇子で隠しながら耳の近くで話し始めた。

「あなたが、古いドレスで街中を歩いていたものだから」
「……っ!」

 ふふっと笑ったリーゼは、まるで勝ち誇ったかのような表情で話を続けた。

「公爵夫人でもあろうお方が、古いドレスで街を出歩くだなんて……一体、どんな理由があるのでしょうね?」
「それは……」
「ああ、ご心配なさらず! ウィリアム様にはお伝えしませんわよ。……まだ、ね」
「ですから、それは……!」
「ではごきげんよう、アメリア様。またいつか、お会いしましょうね」

 アメリアには何も言わせる気がなく、被せるように話し、最後に意味深な笑みを浮かべながらリーゼは去っていった。
 アメリアは自分の行いがあまりにも甘かったことに反省をしながらも、まだウィリアムに伝わっていないとはいえ、いつかは伝わってしまうかもしれないという恐怖が背筋に伝わった。

(……旦那様に言わなくても、社交界で広まってしまったらおしまいだわ)

 彼女がどのように話を広げるかはわからない。今日の時点でそのような話がなかったことを考えると、彼女はまだ誰にも言っていないのだろう。
 それでも、社交界というのは噂話が大好物だ。いつ話をされて、ないことまで噂され、旦那様にも影響がいってしまえば合わせる顔がない。

「すまない、待たせた。……どうかしたのか?」
「え?」

 深いところまで思考が落ちていたらしく、目の前で声をかけられるまで彼の存在に気づけなかった。
 きっと表情も暗かったのだろう。ウィリアムはアメリアの顔を覗き込みながら「早く帰ろう」と伝えた。

「すみません、旦那様……。馬車の用意をしてくださっていたというのに」
「気にすることはない。慣れない場所で疲れも出たのだろう、君には無理をさせてしまった」
「そんなこと……! むしろ、私は旦那様に迷惑をかけていなかったでしょうか?」
「大丈夫だ。君はしっかり妻としての役割を全うしてくれた。ありがとう」
 
 彼からのお礼に、ようやく肩の力が抜けたような気がした。
 大きな不安がそこにあるものの、それでもウィリアムから「問題がなかった」と言ってもらえたことに安心した。

「今日はもう疲れただろう。屋敷に戻ったら、君は早く寝るといい」
「え、でも……」

 確かに疲れてはいるが、パーティーに向かっている時に話をしたお土産を見せてくれるものだと思っていた。
 旦那様の気遣いを無駄にしたいわけではないのに、先ほどの出来事で不安になっているのか、まだ彼と過ごしたいと思ってしまう。
 言い淀んでいると、ウィリアムも行きの馬車での会話を思い出したのだろう。彼も少し口ごもりながら「もし、まだ疲れていないのならさっきの話の続きをしないか」と言ってくれた。

「はい、ぜひ!」
「なら、一度着替えてから君の部屋に持っていくよ。その間に君も着替えるといい」
「わかりました」

 馬車が屋敷に到着し、旦那様のエスコートで馬車から降りる。
 出迎えにはレオンとリリーがいて、なんだか微笑ましいものでも見るかのような表情で二人のことを見ていた。

「また後で」
「はい、旦那様。楽しみにしています」

 執事のレオンと共に部屋に戻る彼の背中を見ていると、リリーが小さな声で「奥様、何があったんですか?!」と、興奮が抑えられない様子で聞いてきた。

「えっと、旦那様がお土産を買ってきてくださったみたいで……この後、見せてもらうことになったの」
「まぁ……! それなら早く着替えてしまいましょう! お風呂の用意もできているので、体だけでも早く流しちゃいましょう」

 リリーと共にお風呂場へと向かう。
 洗浄してもらっている間もパーティーでは何があったのか、旦那様とどんなことがあったのかを根掘り葉掘りと聞かれた。
 着替え終わる頃には体も十分に温まり、疲れもいくらかマシになっていた。

「では奥様、私はお茶の用意をしてまいりますね。旦那様はすでに、奥様のお部屋にいらっしゃるみたいです」
「え、そうなの……?」
「はい! タイミングを見ていきますので、ごゆっくり」

 楽しそうに笑みを浮かべたリリーはすぐに厨房の方へと向かってしまい、自室に近い廊下には私だけになってしまった。

(考えてみれば、旦那様が私の部屋に来るだなんて何年ぶりかしら……)

 前世と比べれば、相当な時間が経っている。
 自分が抱いている旦那様への気持ちを合わせると、二人きりで、しかもラフな格好で彼と話すのは相当久しぶりだ。
 ゆっくりと足を動かし、自分の部屋に向かう。すでに彼がいるということは、ドアの向こうで待っていてくれているということだ。早く入らなければ失礼だろう。
 深く息を吸って、吐く。
 何度か深呼吸を繰り返してから、ドアを数回ノックした。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません……」

 ゆっくりとドアを開けると、ウィリアムは立っていた。
 座って待っていれば良いのに、と思った瞬間。お風呂で温めた体が急速に冷えていった。

「君、これは一体なんだ?」
「そ、それは……」

 目の前にある大量の紙たちには、びっしりと文字が書かれている。
 それだけならまだいいが、問題は中身だ。
 中身は、書きかけの原稿。修正しているとはいえ、中身はほとんど出来上がっている。

(旦那様は私のやることに興味がないと思っていたのに……!)

 まさか、机の上にある原稿を見られるだなんて思ってもみなかった。
 関心を少しは向け始めているのだろうと思っていたが、それでも旦那様は私に対してそんなに興味を抱いていないだろうと思っていた。
 でも、それは間違いだ。
 目の前に大量の紙があれば、彼の興味をいやでも引いてしまうだろう。

 旦那様の手にある数枚の紙は、すでに読んでしまったらしく、怪訝そうな顔をしている。
 ここに来て約一年…………いや、正確に言えば十一年。
 彼はその間、私に全くの興味を示さなかった。
 私が新聞が欲しいとか小説が欲しいとか言っても、たくさんの紙や筆記用具を買おうとしても何も言わなかったのに。だから旦那様は私に全く、興味がないと思っていたのに……。

(もう、終わりかしら)

 はぁ、と大きなため息を吐く。
 こんなの、離婚案件だ。公爵夫人である私が、妻である私がこんなことをやっていたなんて知られたら離婚に決まっている。ここで離婚をされたらあの家に戻る羽目になるけど、十分な資産はある。いざとなれば一人で生きていくこともできるだろう。
 旦那様への恋心もあったというのに……早い段階で失恋もしてしまった。
 今日は、なんて厄日だろう。

「旦那様、私は小説家になりました」

 それも、同性愛の物語を書く小説家に。