しばらくすればリリーが来たので、舞踏会に参加するための準備を始めていくことにした。
 髪を整え、軽い化粧を施し、ドレスに着替えればいつでも出発ができる。

「終わりましたよ」
「ありがとう、リリー」
「それでは、私は馬車の確認をしてきますね」
 
 もう一度リリーにお礼を伝えてから、鏡の前で自分の姿を確認する。洗練されたデザインのドレスに、丁寧にアップスタイルにされた髪。そして、ほんのりと色づく自分の頬に艶めくリップ。
 リリーの腕前は確かで、どこから見ても立派な公爵夫人に見える。

(……旦那様、どう思うかしら)

 アメリアがウィリアムの姿を見るのは数ヶ月ぶりだ。
 彼に何があったのかは知らないが、久しぶりに顔を合わせるのは嬉しいという気持ちも少しはあるものの、どうしても気まずいと思ってしまう。
 屋敷にいる誰に聞いても最近の彼のことを教えてくれないとなれば、どうしても心配の気持ちもでてくる。

「奥様、馬車の準備も整いました」
「わかったわ、ありがとう」

 鏡の前で立ち尽くしていると、戻ってきたリリーに声をかけられる。
 机の上に作業したままの原稿が見えるが、帰ってきてからも作業はしたい。わざわざ片付けてもらっても、どうせすぐに出すのだからこのままの方がいいだろう。
 リリーには机の原稿には触らないように伝え、それ以外の掃除だけをお願いした。

「承知しました。気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ありがとう」

 玄関まで送ってもらい、外に出れば少しだけ肌寒い。
 馬車の前にはすでにウィリアムの姿があり、心臓が高鳴った。

「旦那、様……」
「久しぶりだな」
「……ええ」

 久しぶりに彼のことを見かけたからか、うまく目を合わせることができない。それでも、一瞬だけ見えた彼の顔は以前に見た時よりもやつれているように見えた。
 手を差し出され、少し戸惑いながらも手を取って馬車に乗り込めばウィリアムも馬車に乗り、向かい合うように座った。
 馬車が動き出し、少し揺れる。ちらりとウィリアムのことを見ればこちらを向いていて、思わず顔を背けてしまった。まさか自分のことを見ているとは思わずに顔を背けてしまったが、彼に聞きたいことはたくさんある。それなのに、なかなか話し出せない。

「悪かった」
「え?」
「数ヶ月もの間、顔を合わせることができずに申し訳なかった」

 ウィリアムの方に顔を戻せば、まっすぐにこちらを見ながら謝罪をしていた。
 申し訳なさそうに眉を下げ、こちらの様子を伺うかのように謝罪の言葉を並べる彼の姿というのは、今まで想像したことさえなかった。

「理由をお聞きしても?」
「……外国に、行ってた」
「外国?!」

 思わず耳を疑った。
 まさか外国に行っていただなんて、想像を超える理由すぎる故に受け止めるのに時間がかかった。

「外国というのは、外の国の?」
「ああ」

 ああ、と簡単に答えているが、妻に黙って外国へ行く夫がどこにいるのやら。
 政略結婚とはいえ、愛のない結婚とはいえ、家の主人でもある彼が数ヶ月も不在だったというのはどうしても理解が追いつかない。それに気づくことができなかった自分にも呆れてしまう。

「レオンには内緒にするよう、伝えていたんだ。できる仕事はレオンに任せ、取引のために外国へ行く必要があった」

 開いた口が塞がらない、という言葉は、こういう時のために使う言葉なのだろうと、人生で初めて思った。
 
「私にも一言、伝えてくだされば……」
「君に伝えたところで、特に意味はないだろう」

 叩かれたような衝撃が頭に走った。やはりまだ、彼から信頼はされていないのだろう。それに、彼と少しでも打ち解けられていたと思ったけど、そうでもないらしい。
 確かに伝えられても彼の仕事の手伝いは何もできないし、意味もない。それでも、彼の所在を知ることや、心配をすることくらいはさせてほしい。

「それに、君に心配させたくなかった」
「……私に?」
「外国に行けば、ここでの地位はあまり意味がなくなる。文化も違えば時差も発生しているし、船旅となれば事故の可能性もある。余計な心配を、君にさせたくなかった」
「そういうこと、だったんですか」
「本当にすまない」

 私に心配をかけたくなかったというのは、少なからずは私のことを思ってだろう。
 自分でも安直だとは思うが、今までずっと私に対して無関心だった彼が私のことを考えてくれたというのは、大きな進歩とも言える。

「次からは、ちゃんと言ってください。夫の心配をしない妻などおりません」
「……わかった。次からは気をつける」

 自分から外国はどうであったか、どんな経験をしたのかを聞けば、旦那様は淡々とだが、全部答えてくれた。長い道中もそういった話で盛り上がったおかげであっという間だった。
 どうやらお土産に小説本と紅茶を買ってきてくれたみたいで、帰った後に見せてもらうことにした。

「ありがとうございます。旦那様」
「ああ」

 少しすると、馬車が止まった。
 どうやら会場に到着したらしく、他の参加者らしき人たちの姿も見える。
 先に降りたウィリアムの手を借りながら、馬車を降りる。

「手を」
「はい、ありがとうございます」

 差し出された腕に手を置き、私たちは会場へと足を踏み入れた。