ふと、俯いた視界の端を影が横切っていった。
 反射的に顔を上げると、慌ただしく駆けていくひとりの兵の姿がある。

「止まれ、そこの」

 厳しい声色で容燕が命ずると、彼は足を止めた。
 自分たちを見るなりぎくりと身を強張らせる。

「……その格好は羽林軍の門衛だな?」

 眉をひそめ、航季は詰め寄った。

「……は、はい……」

 蛇に睨まれた蛙のごとく、旺靖は萎縮(いしゅく)して立ち尽くす。まさかこのふたりに出くわすとは何たる不運だろう。

「そんなに急いでどこへ行く?」

「それは、その……着替えに」

「着替えだと? 何のためだ」

「少し……汚れてしまったもので────」

 歯切れの悪いもの言いを(いぶか)しみ、航季は(はい)していた剣を素早く抜いた。彼の首にあてがう。

(わずら)わしい。はっきり答えろ」

「お、お許しを! 俺は何もしてません!」

 陽光を弾くむき出しの白刃(はくじん)におののいたのか、その場にがっくり膝をついた。
 必死の形相(ぎょうそう)で訴えかけられるが、ますます奇妙な感覚が強まる。

「……噛み合わないな。何か隠してるだろ」

 そう言った航季と同じ感想を抱いたのか、容燕も怪訝(けげん)そうに目を細めた。
 顔面蒼白の旺靖は呼吸を震わせ、視線を彷徨わせる。

「そ、そんなことは────」

「二度も言わせるなよ」

 ぐ、と刃を首に押し込んだ。肌に赤色が浮かんで流れ落ちる。

「痛……っ! う、あ、答えます! どうかお助けください!」

 航季は本気だ。取るに足らない自分の命などいつでも奪える。
 突きつけられた刃で喉笛を掻き切られる想像が容易についてしまい、縮み上がった旺靖は屈した。

 航季の剣が遠ざかる。鞘におさめると、彼は隙のない双眸(そうぼう)で高圧的に見下ろした。

「あ、あの……それが、その……」

 “答える”とは言ったものの、旺靖は躊躇していた。
 春蘭や莞永の信頼に背き、悠景たちを救う機会を棒に振ることになってしまうかもしれない。

「…………」

 航季は無言で再び(つか)に手をかける。それを見た旺靖は反射的に口を開いてしまった。

「ほ、鳳家のお嬢さまが……っ」

「……鳳家?」

 容燕の眉がぴくりと動く。

「お嬢さまが……謝大将軍たちを助けるべく動いてくれてて」

 険しい表情で瞠目(どうもく)した航季は慌てたように父を振り返った。
 その顔にも衝撃の色が滲んでいる。

「さ、先ほど鳳宰相が証人を……」

 どうやら娘だけでなく元明も自ら動いているようだ。由々しき事態である。

「鳳家がなぜ……」