くつくつと低く笑った。
航季はただ困惑したようにそんな父を見やる。
「……だからよいのだ」
いったいどういうことなのだろうか。航季には意味が理解できない。
「人には生まれ持った器というものがある。器の大きさを過信する愚か者は、他人を見下し強欲なものだ」
容燕は冷淡な調子で言い放った。
「そんな愚か者は、いかなるときにおいても己こそが戦局を動かしている棋士なのだと信じて疑わぬ。ただ操られているだけの駒だと、最後まで気づかぬのだ」
「…………」
扱いやすいことこの上ないだろう。
利用されていることにも、喉元に迫っている刃にも、まったく気づかないからだ。
航季は腑に落ちた。父はまだ、あの男に使い道があると考えているらしい。
出世なり財産なりを餌にすれば、いつでも思い通りに動かせる“駒”として。
今回も大金を握らせ、大事になる前に事態の終息を図るということだ。
「……父上のご命令、承りました」
◇
「お嬢さま、まずはどうするんすか?」
「まずは……錦衣衛に行きましょ。院長の捕縛に向かってもらわなきゃ」
────かくして錦衣衛へ赴き小門を潜ったふたりは、その屋舎前に佇むひとりの後ろ姿を認めた。
「あれは……」
「知ってるの?」
「はい、謝将軍の部下の方っす」
そう答えた旺靖は彼に駆け寄っていく。
「莞永さん!」
「旺靖? と、きみは────」
振り向いた莞永は春蘭に目をとめると、そのままじっと見つめた。
見覚えのある顔だ。以前、気絶させてかどわした医女である。
「この方は鳳家の姫君、春蘭さまっす」
そんな旺靖の言葉を聞いた莞永は思わず「えっ?」と素っ頓狂な声をこぼした。
「医女じゃなく……?」
「あ、この格好は宮中に入るためのものなの。医女じゃないわ」
なるほど、と頷いた莞永は姿勢を正し、胸に手を当てる。
「失礼しました。わたしは晋莞永と申します」
「莞永、よろしくね」
「はい、あの……申し訳ありませんでした!」
ばっ、と莞永は勢いよく頭を垂れる。今度は春蘭が面食らう番だった。
「お嬢さまを、その……運んだのはわたしなんです。手荒な真似をしてすみませんでした」
「あ、ああ……そういうこと。それはもう過ぎたことだし気にしないで」
朔弦の部下ということもあり理解や想像の及ぶ話だ。当人間で“なかったこと”になっているため、いまさら掘り返す気などない。
春蘭は笑い返しながら、正反対だ、という印象を受けた。
莞永は朔弦と異なり、顔立ちも雰囲気も穏やかで優しい。癖毛なところまで真逆だ。
黙っていれば真相は闇の中だったのに、攫ったことを自ら打ち明けたところを見ると、まじめな性質でもあるようだ。
「ところで……お嬢さまは何をなさってるんですか? 扮装してまでどうして宮中に?」