◇
────少し時を遡る。
「お嬢さま!」
人里を離れ、桜の丘まで紫苑は脇目も振らず軒車を飛ばした。
春蘭がひとりで赴く場所などここくらいしか思い当たらない。
果たしてそこで佇む春蘭の姿を認めた途端、心の底からひどく安心した。
素早く下車した彼は、しかし咎めるような険しい顔で怒りを顕にしている。
「し、紫苑……」
「どういうおつもりですか! おひとりでふらふらどこかへ行ってしまうなんて……。宮中でもあんなことがあったのに、また何かあったらどうするんです!」
朔弦の存在とかどわされたという事実は、今朝の時点で彼にも伝えていた。
無理にでも同行すればよかった、と嘆く紫苑をどうにか宥めてとりなしたところだったのに、またしても蒸し返すような真似をしてしまった。
彼は(こと春蘭に関しては)ただでさえ極度の心配性であるというのに。
「ごめんなさい、勝手に……」
「まったくです。何のためにわたしがいるとお思いですか? ……どうか、もう離れないでくださいね」
最後の部分だけは声色がちがって聞こえた。案ずるがゆえの怒りは萎み、切実な気配が滲んでいる。
「え、ええ……」
眉を下げる紫苑の揺らぐ瞳を、半ば困惑しながら受け止めた。
ふと口端を持ち上げた彼はいつも通りの微笑を取り戻す。
「……参りましょうか。予定通り施療院へ向かいますか?」
「そう、ね。光祥とも話しておきたいし」
薬材の一件が煌凌を通じて王に伝われば、事態が一気に動き出すかもしれない。
天下の蕭家が黒幕とはいえ、王なら裁くことができるはずだ。
かくしてふたりは施療院へ赴いたものの、光祥の姿は見当たらなかった。
不思議に思っていると、ちょうど背後から肩を叩かれる。
「……光祥! どこ行ってたの?」
「町でちょっと大変な話を聞いてね……。まったく予想外の展開になった」
驚く春蘭に硬い表情で答えた光祥は、困ったとでも言いたげに腰に手を当てた。
「予想外とは?」
「ああ……触れ文の話は知ってるよね。その首謀者として左羽林軍の大将軍が捕まったらしい」
「左羽林軍の……って、確か謝悠景とかいわなかった?」
堂で夢幻も交えて朔弦の話をしたとき、彼がその名を口にしていた覚えがある。
「そうそう。きっと甥の朔弦も牢の中だろうね」
────少し時を遡る。
「お嬢さま!」
人里を離れ、桜の丘まで紫苑は脇目も振らず軒車を飛ばした。
春蘭がひとりで赴く場所などここくらいしか思い当たらない。
果たしてそこで佇む春蘭の姿を認めた途端、心の底からひどく安心した。
素早く下車した彼は、しかし咎めるような険しい顔で怒りを顕にしている。
「し、紫苑……」
「どういうおつもりですか! おひとりでふらふらどこかへ行ってしまうなんて……。宮中でもあんなことがあったのに、また何かあったらどうするんです!」
朔弦の存在とかどわされたという事実は、今朝の時点で彼にも伝えていた。
無理にでも同行すればよかった、と嘆く紫苑をどうにか宥めてとりなしたところだったのに、またしても蒸し返すような真似をしてしまった。
彼は(こと春蘭に関しては)ただでさえ極度の心配性であるというのに。
「ごめんなさい、勝手に……」
「まったくです。何のためにわたしがいるとお思いですか? ……どうか、もう離れないでくださいね」
最後の部分だけは声色がちがって聞こえた。案ずるがゆえの怒りは萎み、切実な気配が滲んでいる。
「え、ええ……」
眉を下げる紫苑の揺らぐ瞳を、半ば困惑しながら受け止めた。
ふと口端を持ち上げた彼はいつも通りの微笑を取り戻す。
「……参りましょうか。予定通り施療院へ向かいますか?」
「そう、ね。光祥とも話しておきたいし」
薬材の一件が煌凌を通じて王に伝われば、事態が一気に動き出すかもしれない。
天下の蕭家が黒幕とはいえ、王なら裁くことができるはずだ。
かくしてふたりは施療院へ赴いたものの、光祥の姿は見当たらなかった。
不思議に思っていると、ちょうど背後から肩を叩かれる。
「……光祥! どこ行ってたの?」
「町でちょっと大変な話を聞いてね……。まったく予想外の展開になった」
驚く春蘭に硬い表情で答えた光祥は、困ったとでも言いたげに腰に手を当てた。
「予想外とは?」
「ああ……触れ文の話は知ってるよね。その首謀者として左羽林軍の大将軍が捕まったらしい」
「左羽林軍の……って、確か謝悠景とかいわなかった?」
堂で夢幻も交えて朔弦の話をしたとき、彼がその名を口にしていた覚えがある。
「そうそう。きっと甥の朔弦も牢の中だろうね」