「はぁ……」

 朔弦が悠景の執務室を(おとな)うまでの道中、同行する部下の(しん)莞永(かんえい)は自身の両手を見つめ、重いため息をついた。
 そこにはまだ、感触が残ったままだ。

 何度目か分からないそのため息を聞き、朔弦はとうとう彼に一瞥(いちべつ)をくれてやる。

「……何だ」

「あの医女は大丈夫でしょうか?」

 それに対して何ごとか返ってくる前に、莞永は言を続ける。

「いくら何でもちょっと強引なやり方だったので心配なんです。怪我とかしてませんかね……?」

 腹心の部下である彼が朔弦の行動に言及したのは、これが初めてのことだった。

 強引なやり方────それは医女を攫った手段のみを指しているのではなく、拉致して懐柔(かいじゅう)する、という策そのものについても言っているのだろう。

 あれが鳳家の娘などでなくただの医女だったのであれば、薬材を持ち出そうとしていた、という事実を出しに脅して駒にする手筈(てはず)だった。

「将軍らしくないです。何と言うか、雑……じゃないですか」

 慎重で冷静な朔弦ならば、もっといくらでもやりようがあったはずだ。
 それなのに“宮中で人を攫う”などという安直な行動に出たのは、やはり雑だと評するほかない。

「…………」

 朔弦は何も言わなかった。
 そんなことは自分自身が一番思っているし、そう()()()のだが、結局一蹴(いっしゅう)されて終わったのだ。

「そのことだが、証拠は残していないだろうな?」

 春蘭の誘拐そのものを実行したのは莞永だった。
 先ほどから、いや、あの晩から後ろめたさが拭えないらしく、彼はずっと医女の無事を気にかけている。

「え? あ、はい。それはご安心を」

 戸惑いながらも頷いた莞永をじっと眺めた。
 こんな調子であるから、口が裂けてもあの医女の正体など明かせなかった。春蘭との取り引きがなかったとしても、だ。



 朔弦は悠景の執務室へと足を踏み入れる。
 どっかりと構えて椅子に座る叔父が酒を(あお)っているのを見ると、(とが)めるように目を細めた。

「叔父上……」

「お、来たか。それで? うまくいったのか?」

 悠景もその意図に気づいたはずだが、あえて無視して本題へと切り込んだ。

「……はい、まあ一応」

「ん? 何か問題でもあったのか」

 彼にしては歯切れの悪いもの言いだった。さすがに(さかずき)を置き、その顔から笑みを消す。

 朔弦は医女に(ふん)していた春蘭のことを思い返した。
 宮中でかどわすなどという大胆な策は、朔弦ではなく悠景が講じたのである。

 それについて彼は、朔弦の反対など一切聞く耳を持たなかった。こんなことは珍しくないが。

 それでも薬材を取り巻く不可解な動向について疑問を持っていたのは確かだったため、不承不承(ふしょうぶしょう)ながら引き受けたわけだ。