動きがあったのは寅の刻(午前四時頃)を回った頃だった。
 ぎぃ、と木の軋むような音が響き、頭をもたげた紫苑はそっと宮門の方を窺う。

 出てきたのは確かに笠の男だったが、人影はひとつではなかった。
 ともに出てきたもうひとりの男は、重厚な鎧を身にまとい、赤い外套(がいとう)をなびかせている。

『お疲れさまです、尚書(しょうしょ)

 門衛は鎧の男に(こうべ)を垂れる。

 尚書ということは六部(りくぶ)のいずれかの長官ということになるが、その装いから軍事を(つかさど)る兵部の長官ではないかと紫苑は推測した。

 鎧の男に何事かを命じられた笠の男は、素早い動きで軒並(のきな)みの屋根に登り去っていく。

 それは目にも留まらぬ速さで、さすがの紫苑でもそれ以上追うのは無理だった。
 そうして引き揚げ、鳳邸へ帰ってきたわけだが、収穫は十分だろう。



「その鎧の男ですが……もしかすると、彼こそが蕭家の次男かもしれません」

 紫苑はあくまで可能性を示唆(しさ)するに留めたが、半ばほとんど確信していた。

 施療院での不正授受が蕭家の仕業だということも含めて考えると、笠の男はその手先(てさき)なのではないだろうか。

「そうかも……。お堂へ行きましょ、夢幻や光祥なら兵部尚書が誰なのか知ってるかもしれないわ」



 軒車を走らせ堂へ着到(ちゃくとう)したものの、中に夢幻の姿はなかった。どうやら留守にしているようだ。

「どこ行ったのかしら。また外に出るなんて……」

「ここで待たれますか? それとも光祥殿に会いにいきますか? 彼なら今日も施療院にいるでしょうから」

「……そうね。施療院に行きましょうか」

 ただここで無為(むい)に待ち続けるよりは有意義だろう。春蘭は一拍遅れて首肯(しゅこう)した。

「分かりました。軒車を手配しますね」

 そう言って馬駐(うまとどめ)の方へ向かった紫苑は馬繋柱(ばけいちゅう)に歩み寄って手綱を掴む。
 彼を待つ間、春蘭は何となく大路(おおじ)まで出てその往来(おうらい)を眺めた。

(あ……)

 路傍(ろぼう)に並ぶ店の先でふと赤色が見えた。きらきらと光を弾いているのは山樝子(サンザシ)飴だ。

『……再び、会ったときに。だから────』

 頭の中で桜が散って、思い出したのはなぜか九年前よりもそんなごく間もない日のことだった。

 はら、と花びらが風に乗って目の前で踊る。
 気がついたら、ふらりと一歩踏み出していた。何かに導かれるようにして歩いていく。