────うっすらと目を開けた春蘭は、さらさらと薄絹(うすぎぬ)の揺れるようなささやかな音を聞いた。

 昨晩は紫苑の帰りを待って、丸窓を開けたまま眠ってしまったようだ。
 そよぐ風に(しゃ)帷帳(いちょう)がゆらめいている。

 寝台(しんだい)の上で身を起こした。窓際からいつここへ上って寝たのかは覚えがない。

 卯の刻(午前六時頃)────東の空から白み始め、外にはぼんやりとした薄明るい色が立ち込めていた。

(紫苑……)

 部屋を出て早朝の庭院(ていいん)へ下りるが、彼が帰ってきた気配は感じられない。

(無事、よね?)

 不意に肌寒さを覚えた春蘭は自身の腕を抱き、不安気に門の方を眺めた。



「今日は紫苑さんいらっしゃいませんね」

 一時(いっとき:約一時間)が経った頃、春蘭の身支度を手伝いにきた芙蓉がぽつりと呟く。

 普段であればそろそろ春蘭のもとへ朝餉(あさげ)を運んでくる頃なのだが、今日は一向にそんな気配がない。

「そうね……」

「屋敷の中でもお見かけしませんでしたよ。どこかへお出かけでしょうか?」

 衣の腰紐を結んでやりつつ、芙蓉は不思議そうに言った。

 春蘭の心の中に、さざなみのような不安感が込み上げて揺れる。

 紫苑はまだ屋敷へ戻っていないようだ。さすがに遅すぎやしないだろうか。
 何かあったのかもしれない。

「……もし見かけたら、わたしが捜してたって伝えてくれる?」

「分かりました」

 身支度の手伝いを終えると、芙蓉はしずしずと下がっていった。

 硬い表情を浮かべた春蘭は意味もなく部屋の中を行ったり来たりする。

 紫苑の身に何かあったとすれば、笠の男かその主に囚われた、ということになる。

 しかし紫苑には武術の心得があり、その腕前は並大抵のものではない。そんな彼が易々とやられるとは思えない。

(まさか……尾行に気づかれた?)

 彼は確かに武術に秀でているが、何も兇手(きょうしゅ)ではないのだ。完璧に気配を消すことはできない。

 笠の男に気づかれ、不意に返り討ちに遭った可能性は否定できなかった。

 さぁっと血の気が引き青ざめる。よからぬ想像が膨らんで胸を圧迫してきたとき、ふっと扉の向こうに影が浮かんだ。

「あら、紫苑さん」