「まあ……ええ。謝朔弦といえば左羽林軍の将軍でしょう。謝家当主であり大将軍でもある悠景の甥にあたります」

 その言葉に光祥も「あっ」と声を上げた。

「聞いたことあると思ったら……思い出した。四年前の国試(こくし)で話題になってたね。史上最年少で首席及第(きゅうだい)した稀代(きだい)の秀才だって」

 春蘭は初耳だった。(さと)そうだという印象はまさしく的を射ていたわけだ。
 あの鋭い慧眼(けいがん)を思い出す。

「朔弦は()()()誘拐したのですか? それとも医女を?」

「医女の方に用があったみたい。市井(しせい)での薬材事件に関して何か怪しんでる感じだったわ」

「へぇ……おかしいな。謝朔弦は叔父ともども太后の腹心のはず。その太后は蕭家と手を組んだみたいだったけど」

「あ、言われてみれば確かに! 不正授受に蕭家が関わってるなら変な話ね。朔弦は知らないってことかしら?」

「案外かどわしたのは朔弦の独断だったりしてね。蕭家や太后の手先として動いたわけじゃなくて」

 推測を投げかけ合うふたりを見比べ、夢幻は不可解そうに眉を寄せる。

「何の話ですか? 不正授受?」

「ああ、そうそう。その話をしに来たんだ」

 施療院での一件を知らない彼に、春蘭と光祥は全容を伝えた。
 薬材の不正授受を主導しているのが蕭家だとすると、市井での薬材事件そのものも蕭家が裏で手を引いているのかもしれない。

「なるほど、そんなことになっていたとは……。とにかくきな臭いですね」

「そうなんだよ。あとは尾行した紫苑の成果次第かな」

「ええ。ともかく……春蘭」

 頷いた夢幻はそれから春蘭に向き直る。
 その顔からは先ほどのような非難めいた色は消えていた。

「朔弦が依然(いぜん)としてあなたを疑っているとしても、鳳家令嬢と判明した以上、安易に手出しはしてこないでしょう。そこはひとまず安心です」

「そうだといいけど……。お互い大事にしたくないから、掘り返したりはしないわよね」

 誰にも言わない、という言葉は破ってしまったわけだが。
 彼の方にも守る気があるのか分からない。それは口にしたときから半信半疑だった。

「……さて。じゃあそろそろお(いとま)しよう」

 かた、と光祥が椅子から立ち上がる。

「では、紫苑が戻ったらまた結果を教えてください」

「ええ。明日、また来るわ」