春蘭は「え?」と顔をしかめ、紫苑も眉を寄せた。

「院長も医者では?」

「ああ、もともとは宮中の医官(いかん)だったって聞いてる。だけど、施療院へ来てからは一度も診察してないんだ」

 院長が部屋に閉じ込もっているのには、何か真っ当な理由があるのだろうか。

「……院長に会ってみる?」

 光祥の言葉に顔をもたげた。いい予感はしないが、得るものはあるかもしれない。

「ご案内します」

 そう言って先導(せんどう)する医女のあとをついて歩いた。



「院長さま、お客さまがお見えです」

 施療院内の一角にある屋舎の前に立つと、医女は扉の向こうに取り次いだ。

「……誰だ」

 中からは四十代くらいと思しき男の声が返ってくる。
 いかにも気だるそうで、返事さえも億劫(おっくう)だと言わんばかりに覇気(はき)のない声色だ。

「鳳家のお嬢さまです」

 医女が答えるや(いな)や、ばん! と勢いよく戸が開き、小太りの男が転がり出てきた。

 慌ただしい様子で春蘭の前に立つと勢いよく頭を下げる。
 着崩していた官服(かんふく)の襟元を手早く整えながら顔を上げた。

「ほ、鳳家のご令嬢が何ゆえこのような薄汚い場所へ?」

 そのひとことに春蘭は耳を疑った。

「……“薄汚い”?」

 おおよそ、民を救う施療院の院長ともあろう人物の口から出た言葉とは思えない。

「ええ、下賎(げせん)な民が寄り集まってくる場所ですよ。しかも怪我人や病人ばかり……毎日うんざりです」

 院長は心底不愉快そうに顔をしかめて言った。

 ここへ助けを求めてやってくる民を、いったい何だと思っているのだろう。
 微塵(みじん)(かえり)みない言葉に、春蘭は怒りを覚えた。

「……あなたがどれほど高貴だって言うの?」

 発せられた声はいつもより低く、その憤りは紫苑にもよく理解できた。

 職責(しょくせき)を軽んじ、徳義(とくぎ)をおろそかにするこの男の心根(こころね)は、腐敗して朽ちていると言える。

 てっきり春蘭が同調してくれるとばかり思っていた院長は、思わぬ言葉にたじろいだ。

「え? それはまあ、お嬢さまと比べたら天と地ほどの差ですが……。わたしも以前は宮廷で医官をしていたのでね。少なくともここの者らは、恐れ多くてわたしの顔など見られないでしょうな」