「…………」

 今朝の朝議(ちょうぎ)を思えば、彼が鬱々(うつうつ)と塞ぎ込んでいる理由は明白だった。
 あえて口にはしないが、その件でここへ来たのだろう。

 元明の出した桂花糕(けいかこう)に手を伸ばし、黙々と食べる王に目をやった。

(辛いだろうな……。これまで散々我慢してきたというのに、こたびもまた蕭の言いなりになって)

 容燕の魂胆(こんたん)ははっきりと分かっていた。

 あれほど強気に妃選びの実施を推すくらいだ。
 審査など形だけのもので、容燕か蕭派の娘が王妃に内定しているにちがいない。既に太后と手を組んでいてもおかしくなかった。

 ますます肩身が狭く、その座が危ぶまれることになる。
 恐らくは王もそのことに気がついているはずだ。だからこそここまで意気消沈しているのだろう。

「……この前、春蘭に会った」

「え?」

 ぽつりと切り出された唐突な言葉に、素直に驚きの声がこぼれた。

「これは秘密なのだが、余はたまに宮外へ出かけるのだ」

「なにゆえです?」

「……それも秘密だ」

 彼が密かに王宮を抜け出しているとは初耳だったが、その切羽詰まった心境を思えば責める気にもなれない。

「ともかく、偶然そのとき春蘭に出会ったのだ」

「そ、そうでしたか……」

「うむ。その……春蘭も妃の候補者になるのだろう?」

「そうですね。身上書(しんじょうしょ)の提出は絶対ですし、望むと望まざるとに関わらず、鳳家直系(ちょっけい)の娘として生まれたあの子の宿命ですから」

 禁婚令が敷かれれば、貴族の若い娘たちは例外なく婚姻を禁じられる。同時に身上書を提出することが義務づけられていた。

 すなわち禁婚令が発されるまで未婚であれば、妃選びへの参加に拒否権はない。
 身上書をもとに第一次審査へ進むか否かが決まるのであった。

 そうか、と頷いた王はあの桜の木に思いを()せた。浮かんだ光景は不思議と九年前のものだ。

『これはわたしの大切なものだ。ここで待っているゆえ……かならず返しにきてくれ』

『わかった。約束するわ』

 “約束の証”を大切そうに受け取った少女の純真な笑顔を思い出す。
 その存在を忘れた日は一日としてない。