「そっか、そうだったわ。すぐ支度するからちょっと待ってて」

 紫苑が下がると、芙蓉が春蘭の身支度を手伝った。
 しわひとつない衣に袖を通し、(くし)でとかした艷めく髪に花飾りをつけてやる。

「…………」

 鏡台(きょうだい)の引き出しを開けた春蘭は、装飾品や化粧品とともにおさまっていた平たい(きり)の箱を取り出した。

 そっと蓋を開けてみると、そこには変わらず佩玉が眠っている。
 宝飾も房も()せることなく、玻璃の玉も輝きを失ってはいない。

 夢にみたせいか、あの日の記憶が鮮明に浮き彫りになっていた。

(まったく……いつになったら取りにくるのかしら)

 あの日から九年の歳月が流れたが、約束は未だ果たされぬままだ。

 小さく息をついた春蘭は、蓋を閉めた箱を元に戻すと、部屋を出て紫苑のもとへ向かった。



     ◇



 宮殿の一角(いっかく)王太后(おうたいこう)居所(きょしょ)である福寿殿(ふくじゅでん)には不穏な気配が漂っていた。

 華やかな装飾の施された室内には太后のほか、謝悠景(しゃゆうけい)と、その部下であり甥である朔弦(さくげん)(つど)っている。

 悠景は王室の警護を担当する親衛隊である左右羽林軍(うりんぐん)のうち、()羽林軍の長である。

「それで────王を手懐ける良策は見つかったのか」

 湯気の立つ茶をひと口すすり、太后が口火を切る。

 蓋碗(がいわん)茶托(ちゃたく)に戻されたのを見届け、悠景は悔しそうに眉根を寄せつつ下唇を噛んだ。

「いやぁ、それが……」

 彼が苦い表情で言い終える前に、神経質そうに太后の眉が動く。

 だん! と、思いきり卓子が叩かれた。
 その拍子に茶が器からあふれる。

 太后の人差し指にはめられた琥珀(こはく)の指輪が、蝋燭(ろうそく)の灯りを跳ね返した。

「そなたらも知っておろう! (わらわ)主上(しゅじょう)は血が繋がっておらぬ。言わば、この地位は砂上の楼閣(ろうかく)……。何としても揺るがぬものにせねばならぬのに」