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「はぁ、助かった……」

 彼から替えの行灯(あんどん)を受け取り、春蘭はその灯りを頼りに宮門を目指して歩いていく。道は一応聞いてきた。

 執務室を出たときに振り返って確かめたところ、屋舎には“左羽林軍”と書かれた扁額(へんがく)が掲げられていた。
 推測した通り、やはり羽林軍だったようだ。

『……謝朔弦だ』

 冷徹な彼は不承不承(ふしょうぶしょう)ながらそう名乗った。

 あの執務室が朔弦に与えられたものだとすると、やはり羽林軍の中でも階級が高いにちがいない。

(年はわたしより三つか四つくらい上って程度に見えたのに……)

 すごい、と素直に感心してしまう。それと同時に冷ややかな眼差しを思い出して恐れをなした。

 ふと、その室内の様子まで思い返される。

 机上には書物(しょもつ)書翰(しょかん)の山ができていたが、きちんと丁寧に整頓されていた。
 書物は兵法(へいほう)()くものや軍事に関するものが多くを占めているようだった。

(謝朔弦……)

 位を抜きにしても一介の兵士とは思えない。

 夜半とはいえ宮中でかどわすなど大胆な策に出たものだが、問答は無駄がなく完璧で、春蘭も淡々と追い詰められた。

 唯一の誤算は春蘭が鳳家の娘であったことだろうが、それについては運が悪かったとしか言いようがない。

 ただ、それでも朔弦が保身に走って下手(したて)に出ることは最後までなかった。

『おまえが誰であれ、わたしの見方は変わらない』

『それって……?』

『薬材を持ち出そうとした、それは事実だろう。その件に関してはいまも疑っている』

 それに頓着(とんちゃく)するということは、彼も彼で何者かによる何らかの陰謀めいた思惑という線を追っているのかもしれない。

『今後の動向に目を光らせておくからな』

 そう釘を刺された上、薬材はすべて没収されてしまった。
 結果からして彼の不信感を完全に払拭できたとは言えない状態だ。

(ただ……百馨湯の薬種に関しては、やっぱり誰かが買い占めてると見て間違いないかも)



「お嬢さま……!」

 宮門を潜ると、すぐさま紫苑が駆け寄ってくる。

「遅かったですね。ご無事ですか? 何かありました?」

「あ、えっと────」

「あれ?」

 返答に窮したところ、不意に声がかけられた。
 ほとんど同時にそちらを向いたふたりに、彼はにこやかに笑いかける。

「偶然だね、こんなところで何してるの?」