櫂秦はふた月前に交わした会話を思い出した。
あのときも、春蘭を最優先にする傍らで彼女を守る役目を朔弦に委ねようとしていた。
“お嬢さま離れ”のつもりなのか、それとも本当に諦めているのか。
いずれにせよ、紫苑の本意ではないだろう。
「まあ、元気出せよ。一生会えないわけでもねぇんだからさ」
春蘭が入内することになったら、紫苑も同じく宮仕えを始めればいい。
護衛兵になるなり官吏になるなり、その方法はいくらかある。
同じ宮中にいれば、会うことも難しくはないだろう。
「……そうだな」
紫苑は短く答えた。
本当に言いたいことは飲み込んでしまったかのような、妙に素直な声色であった。
「…………」
櫂秦の胸に微かな“違和感”が宿る。この感覚は、初めてではない。
(何か隠してる)
踏み込もうとすると、やんわりと押し返される。
近づく前から、何か透明な幕のようなもので隔たれてしまうのである。
拒絶されているわけではないのに、鋭い線引きに気圧されそうになる。
食い下がっても意味はないと、諦めるには十分であった。
(こいつもこいつで、何を抱えてんだ?)
春蘭も紫苑も、絶対の信頼関係を築いていながら、互いに明かしていない秘密がある。
それが彼らの絆を脅かさない保証はない。
────何となく、胸騒ぎがした。
ちぎれた糸は決して元に戻らない。
そのことを、ふたりは分かっているのだろうか。
◇
軒車に揺られながら小窓を開けると、少し先を馬で歩いていた朔弦が速度を落とし、横に並んだ。
「今日は宮殿で一次審査が行われる。通例だと人相の審査だ。よく見ておけ」
「……?」
馬上の彼を見上げながら、言葉の意味を考える。
人相を見ること自体は、候補者たちの役目ではない。
占星院の巫女が行うこととなる。
占星院は、御史台と同様に三省六部からは独立した部署であった。
直下に星雲局を置いており、いずれも属するのはすべて巫女である。
占星院には“神力”と呼ばれる特殊な異能を有する巫女のみが名を連ね、一般の巫女は星雲局に属することとなる。
いずれも神事を司る部署であり、星を読んで祈祷をする。
ほかにも占いや治病、予言や呪詛などを行っており、その特性をもって妃選びの際には候補者たちの人相を見る役割を担っていた。
すなわち、見られるのはむしろ自分たちの方なのである。
朔弦は春蘭に何を“見ろ”と言うのだろう。