────そのとき、背後から場違いな拍手が響いてきた。
 はっと弾かれたように顔を上げる。

「さすがお手柄だな、謝朔弦。おい、彼らを連行しろ」

 暢気な声が空気を割り、朔弦は気だるげな緩慢とした動きで振り向いた。
 ここへ着到した当初、すべてを丸投げして寄越した先輩役人がいつの間にやら立っていた。

「先輩……」

 囁くように莞永が呼ぶ。
 犯人が判明したことで万事解決とでも言いたげな彼は、満悦したように笑みと拍手で朔弦を讃える。

 彼の引き連れてきたほかの役人たちはその指示を受け、奉公人の男に縄をかけた。また、令嬢もともに連行していく。
 ふたりは門を潜るまで、そして恐らくはその後も、互いを労り慈しむような眼差しを交わしていた。

「…………」

 莞永の胸が再び痛む。
 肩入れしたり擁護したりするわけではないが、何だかやりきれない。
 この結果だけを切り取り、刑罰を科すのは酷ではないだろうか。

 そのとき、不意に母屋の方が騒がしくなった。
 未だ現状に理解が追いついていない様子の屋敷の主が、思わぬ展開を悲観し喚くのを、奉公人の親子が宥めている。
 先輩役人はそちらを一瞥したが、さして気に留めることもなく再び朔弦に向き直る。

「まさか錦衣衛にこうも有能な人材がいるとはな。なあ、よかったら官衙の方に異動して来ないか?」

「……先輩。朔弦くんがそんなことするわけないでしょう。官衙では持て余しますよ」

 今日一日、ともに過ごした莞永だからこそ言える台詞であった。
 当の本人は聞こえているのか否か、得意の無視を決め込み、答えることもなければ何の反応も示さなかった。
 まるで興味がないらしい。

 先輩役人は「そうだよな」と落胆し、肩を落としつつ離れていった。
 ほかの役人たちへの指示役に向かったようだ。

 莞永はふと、涼しげに整った朔弦の横顔を眺める。

「……凄いんだね、朔弦くん。すべてお見通しだったんだ? 最終的に自白までさせちゃうなんて」

 結果的に、莞永が朔弦の足となる必要もなかった。
 果たして自分は役に立てていたのだろうか。

「────別に。ただの退屈しのぎだ」

 例によって無視されるかと思ったが、意外なことに答えてくれた。
 しかし、何とも冷めきった返答である。莞永は苦笑した。

「そんなことないでしょ? 錦衣衛の仕事なんだから。……ああ、でもやっぱり錦衣衛って凄いんだなぁ」

「何だ。凄い凄い、とばかのひとつ覚えみたいに」

「だって本当に感動したんだよ。そうだ、僕も科挙や武科挙を受けて、錦衣衛を志望しようかな? そしたら、またきみと一緒に仕事ができる」

 意気揚々と莞永は言ったが、朔弦から好意的な反応は返ってこなかった。

「寝言は寝て言え。おまえの力など必要ない」

 最初から最後まで、彼の態度は一貫していた。
 冷淡で、高圧的で、遠慮も礼儀もまるで重んじないくせに、ずば抜けて頭がよく、ほんの少しだけ優しい。
 そんな、一風変わった天才。

 いらない、という容赦のない言葉に、莞永はまともに衝撃を受け落胆した。
 割と扱いやすい人種であるという自負はあったのだが。

 しかし、ひとつのひらめきを得た。
 彼の部下になる、という選択もいいかもしれない。

「決めた。僕、やっぱり錦衣衛を目指すよ」

 瞳を輝かせ、莞永は宣言する。
 謝絶(しゃぜつ)されようが、無視されようが、意志を曲げるつもりはなかった。
 朔弦が面倒そうな表情を浮かべる。

「……勝手にしろ」

 積極的に歓迎されてはいないが、拒絶されてもいない。
 そうと分かると嬉しくなり、思わず笑顔になった。
 朔弦は踵を返し、そんな彼に背を向ける。

「……どうせ、そこにわたしはいない」

 静かなひとことに戸惑った。
 どういうことだろう。朔弦はもう、錦衣衛を辞してしまうのであろうか。

 尋ねるような視線を投げかけたが、それ以上、そのことについては何も言わなかった。