「ありゃ事故だ。間抜けにも躓いて転んで、運悪く頭を打って死んだんだ。うちの娘をたぶらかした天罰だな。いい気味だ……。そう思わんか」
「あ、ええと……」
同意を求められたものの、返答に窮した莞永は困ったように視線を彷徨わせる。
男はもとより返事など求めていないらしく、続けて言いたいことを言いきった。
「まあ、だとしてもここで死ぬとはな。どこまで我が家を愚弄し、汚せば気が済むんだ。どうせ死ぬなら、誰にも迷惑かけずに死んでくれよ!」
植え込みの方を指し、その指先を叩きつけるようにしながら喚いた。
これまでの聴取で事情は概ね把握しているため、男が何に対してそこまで憤っているのかは容易に理解できた。
しかし、死者を冒涜するような態度には気色ばんでしまう。
莞永は思わず眉をひそめたものの、何ごとかを言う前に冷静な朔弦が口を開いた。
「亥の刻、おまえは何をしていた?」
男は腕を下ろし、咳払いをする。昂った感情を宥めているようだ。
朔弦の平然たる態度を目の当たりにし、莞永もいくらか冷静になれた。
男は思い返すように宙を眺めながら答える。
「その時刻は……屋敷を空けていたな」
朔弦は吟味するように顔を傾け、莞永は難しい表情になった。
「どこへ出かけていたんだ?」
「友人の屋敷さ。子の刻を回るまで酒を飲んでいた」
朔弦は目を細めた。これは嘘ではないだろう。
咄嗟についた嘘であれば、間違いなくぼろが出る。
友人たちと寸分たがわぬ証言をする必要があるからだ。
共謀している線はあるかもしれないが、そこまでの危険を負うほどの利が、友人たちにはない。
「……その旨を娘には伝えたか?」
「ん? ああ……いや、屋敷を出るときに声をかけたが、それだけだ」
「それはいつですか?」
「戌の刻だ。間違いない」
朔弦と莞永は顔を見合わせる。
何となく、朔弦の指摘する《《妙な違和感》》というものが、莞永にも分かってきたような気がした。
少なくともそれは、ひとつではない。
「……何か、変な感じだよね」
庭の植え込みへ戻るなり、莞永は呟いた。
朔弦は悠々とした動作で、再び遺体の傍らに屈み込む。
「そうだろう。妙なんだ」
今度は無視されたりしなかった。彼は続ける。
「だが、いまの聴取で主への疑いは晴れたんじゃないか」
「え? ああ……確かに、あんなに怒ってたもんね。それなのに自分の屋敷で殺すのは、ちょっと不自然かも。何より、ここにいなかったことを証明できてる」
その言葉に朔弦は首肯する。
目の敵にしているような相手を、わざわざ自宅へ呼びつけた上で殺害するなど、何の利点もない。無論、目の敵に限ったことではないが。
うつ伏せでこと切れている男を見下ろし、朔弦はその後頭部を指した。
「ここに傷がある」
「え?」
咄嗟に聞き返してから彼に倣い、その場に屈んだ。
その指先を辿り、男の後頭部を凝視する。
「本当だ……」
髪に埋もれて当初は分からなかったが、よく見ると何やら黒っぽい粉のようなものが毛髪に絡みついていた。
その奥はてらてらと光っている。
粉は乾いた血だろう。後頭部から出血していたわけだ。
傷から流れる血は未だに乾いていない。
「ということは、後頭部を殴られた……?」
「それだと妙だろう。まず、そこが最初の違和感だ」
朔弦は腕を引き、莞永の呈示した可能性を淡々と否定した。
莞永は困惑しながら、ただただ首を傾げる。
広範囲に及ぶ傷が後頭部にあるということは背後から殴られたのだろう、という考えのどこに違和感があるのか、まったく分からない。
むしろ、この結論に帰結するのは自然であろう。
すると、朔弦が今度は植え込みを囲む石のひとつを指した。
そこには、ほかの石には見られない、茶色っぽく変色した斑模様が浮かんでいる。
血の痕だろうか。
「後頭部はあれにぶつけたんだ」
「えっ!?」
「周りを見てみろ。あの石にしか血がついてない。仮に殴って血が飛んだんだとしたら、もっと広範囲に飛び散る。あの石のみに血がついているというのは、不自然すぎる」
莞永は周囲に視線を振り向けた。
地面、植え込み周りのほかの石、低木や花────確かにどこにも血が飛び散ったような痕跡はない。
ふと遺体を見やり、はっとひらめいた。
「そっか! この半襟に染みた血は、後頭部から伝い落ちてきたものか」
「その通りだ」
朔弦は首肯した。
直接的に解決に繋がるようなひらめきではないものの、初めて的を射られた莞永は嬉しくなった。
「……ん? それで、結局何が妙なの?」
「あの石に後頭部をぶつけたのが致命傷なら、なぜうつ伏せで倒れているのか」
莞永のその問いかけに、朔弦はようやく答えてくれた。
その言葉は、この場にも莞永の頭の中にもよく響いた。
遺体と血のついた石を見比べ、深く息をつきながら納得したように大きく頷く。
「確かに……! それは妙だね」
後頭部をぶつけた、ということは仰向けになるはずだ。
この石を持ち上げ、殴りつけない限りは────。
莞永は一旦立ち上がり、石に触れた。両手で掴み、力を込める。
持ち上げようとしてみたが、それはびくともしなかった。
「間違いないな。この石で後頭部を殴られたわけじゃない」
「うん……!」
莞永は呼吸を整える。渾身の力を振り絞ったせいで疲弊したが、お陰でひとつの可能性を潰すことができた。
真相に一歩近づいたわけだ。
遺体の頭側にいる朔弦のもとへ戻り、ふと視線を下ろすと、遺体と目が合った。
思わず後ずさりそうになったが、あることに気がつくと慌てて屈む。
四つん這いの姿勢のまま、むしろ遺体に近寄っていった。
「どうした?」
朔弦が訝しげに眉を寄せる。
「こ、ここ……」