「あ、話してくれてありがとうございました」

 観念した莞永は奉公人たちを気遣いつつ、慌てて朔弦のあとを追いかける。

 再び遺体の前まで来た彼は、謹厳な面持ちで見下ろしていた。
 隣に立ち、その横顔を見やる。

「どうかしたの?」

「…………」

 不思議そうに首を傾げるが、朔弦は一瞥(いちべつ)もくれず無言を貫いていた。
 聞こえているはずだが、あえて無視しているにちがいない。
 朔弦は横たわる男と植え込みの石に付着した血痕を黙々と眺めている。

「思ったんだけど────」

 莞永は朔弦の無視を無視し、勝手に話し始めた。

「この屋敷の主が犯人なんじゃないかな。娘との婚姻を阻むために、被害者を殺害した」

「……それだと、妙だな」

 最初にも聞いたような台詞を返され、莞永は戸惑う。

「どうして? 動機もあるし、一番妥当じゃないかと思うんだけど」

「“一番”? ……おまえはこの中に犯人がいると決めつけているわけか」

 やっと視線が寄越された。何の色もない鋭い双眸(そうぼう)に捕まり、つい狼狽えてしまう。

「ちがう、の?」

「まだ分からない。ただ、可能性としてありえない話ではないだろう」

 昨夜、たまたま刺客や盗人が侵入したのかもしれない。
 あるいはそもそも他殺ですらなく、男は自ら足を滑らせ、植え込みの石で頭を強打したのかもしれない。

 莞永はすぐに反省した。
 まだ全員から話を聞いてすらいないのに、既に真相を決めつけてしまっていた。

「そっか、ごめん……。そうだよね、よくなかったな」

 朔弦はありとあらゆる可能性を網羅した上で吟味し、ひとつずつ潰していく手法を取っているようだ。
 つまり、消去法と相違ない。
 自身の抱く違和感を消化できるか否かにより、可能性を淘汰(とうた)しているのだろう。

 一方の莞永は先に終着点を断定したのちに、そこに至るまでの道筋を構築しようとしていた。
 それではだめだ。いかようにも真実が歪曲(わいきょく)してしまう。

「本人からも何も聞いてないのに、印象っていうか、心象だけで決めつけてた。よし、じゃあさっそく────」

 決然と拳を握り締め、顔を上げる。
 誰もいない。
 きょろきょろと周囲を見回せば、母屋の方へ歩いていく朔弦の背を見つけた。

「だから、いま話してたのに!」

 猛然と追いかける。
 朔弦にとって、どれほど自分が空気と変わらない存在であるかを思い知る。
 いや、存在意義のある空気の方がましだろう。

 これ以上蔑ろにされてたまるか、意地でも役に立ってやる、と自身を奮い起こした莞永は、相変わらず涼しげな顔をしている朔弦とともに母屋へと足を踏み入れた。



 客間へ通されると、令嬢が自ら茶を運んできた。

 赤い衣の袖から覗く手は少し震えている。
 よほど婚約者の死が衝撃的だったのだろう。
 彼女は身を震わせながらも懸命に茶を注いでいた。かたかたと茶器が不安定な音を立てる。

「どうぞ……」

「ありがとうございます」

 莞永は礼を言いつつ蓋碗(がいわん)を受け取る。
 目の前に茶を置かれても、朔弦は見向きもしなかった。
 令嬢の一挙手一投足に、慎重に注意を向けているようだ。

「まさか、こんなことになるなんて……」

 彼女は眉を下げ俯いた。暗い表情でゆらゆらと視線を彷徨わせる。
 心情と連動するように、その耳飾りが揺れる。

「婚約者だったんですよね。お辛いでしょう……」

 莞永の言葉に令嬢が眉をひそめた。
 膝の上で両手を強く握り締め、震える息を深く吐き出す。

「……はい。彼から求婚されて」

「どう思ったんだ?」

「正直とても驚きましたけど、本当に嬉しかったです。夢のようでした」

 令嬢は目を伏せたまま細い声で答えた。
 男のことを思い出しているのか、震えは肩にまで及んでいる。

 泣きたいはずだ。
 恋人の死を悼む間もないまま、犯人候補のひとりとして聴取されるのは、当然だが気分のいいものではないだろう。
 莞永は若干肩をすくめた。

 しかし、朔弦は打って変わって、令嬢の気持ちには清々しいほど無頓着であった。というよりも無関心である。

「ちなみに、昨晩は何をしていた?」

 図々しいまでに、真相究明に一辺倒(いっぺんとう)なのである。
 莞永は気を揉んだが、彼のやっていることは正しい。
 己の役割を果たしているに過ぎない彼に、口出しする余地などない。

「昨晩っていうと────」

「亥の刻、など」

 はっと令嬢が顔を上げる。
 莞永は思い至った。その刻限について尋ねたのは、奉公人の女の証言に基づいているのだろう。

「わたくしは……眠っておりました」

「部屋で、ひとり?」

「……はい」

「それまで、ほかの誰かに会うこともなく?」

「はい」

 彼女は迷いなく首肯する。
 手折られた花のように悄然としている割に、その受け答えはしっかりとしたものであった。
 訝しげに秀眉を寄せた朔弦は呟く。

「……妙だ」