春蘭は呆然としたまま、ふたつの小鉢を見比べた。
 確かに、和え物に箸をつけたのは選択肢がそれしかなかったからだ。
 まんまと彼の読み通り、そして狙い通りに誘導された。

「おまえを毒殺するのは、こうも容易なんだ」

 何か冷たく薄気味悪いものに肌を(さか)撫でられているような錯覚を覚えた。
 茶で緩和されたはずなのに、口の中がまた苦くなる。

「心配は無用だ。いまおまえが口にしたのは、本当は毒ではなく黄連(おうれん)という生薬で、害はない」

 気づかないうちに指先が震えていた。毒ではなかったと分かっても、何だか息が苦しかった。
 たまらず視線を落とす。

「……怖い、ですね」

 宮廷というのは、“こういうこと”がいつ起こってもおかしくない場所なのだろう。
 悪戯でも何でもなく、朔弦はこの身にそう教えてくれたに過ぎない。

 これからそんな魔窟(まくつ)へ身を投じるのだと思うと、いままでと比にならないほどの不安が膨れ上がっていく。
 恐ろしくてたまらない。

「────だから、わたしがいる」

 朔弦の言葉に、春蘭は顔を上げた。

 冷酷で厳しい普段の彼からは考えられないような優しいひとことであった。
 締めつけるような息苦しさがほどけていく。

「……いいか。食事はどれか一品のみを残したり、平らげたりしてはならない。嗜好(しこう)を悟られるな。いまのように、毒を盛られたくないのなら」

 謹厳(きんげん)な面持ちでの言葉を受け、春蘭は背筋を伸ばした。
 表情を引き締め「はい」と頷く。

「信頼できる者以外が淹れた茶や作った菓子には手をつけない。そう留意(りゅうい)しておけ」

「……肝に銘じます」

「それから────」



     ◇



()ってぇ!! ばか、おまえ……っ。こっちは怪我してんだぞ!」

「知ってるよ。だからいま消毒してるんでしょ?」

 傷の経過観察のために施療院を訪れていた櫂秦は、光祥による(とことん荒い)治療を受けていた。
 容赦なく消毒液をぶっかけられ、薬を塗ったくられる。
 櫂秦の絶叫にも抗議にも、まるでお構いなしだ。

「へぇ、きみにしては結構綺麗にしてるんだね。もっと膿んでるかと思ったのに」

「ちゃんと沐浴(もくよく)しねぇとあいつらがうるさいんだよ」

「春蘭と紫苑?」

「ああ、頻繁に薬塗って包帯も巻き直せって怒るし」

 光祥が巻き終えた包帯を結ぶと、櫂秦は文句を言いながら上衣を羽織った。
 特に春蘭が「清潔に保たないと治らないでしょ!」と憤るため、億劫(おっくう)に思いながらも言う通りにしているのである。