────庭へ下りた春蘭は、池に架かる橋の上にその姿を認めた。
 月明かりも灯籠(とうろう)の灯りも及ばず、面持ちは窺えない。窺えたとして、きっと心情を読み取れはしない。

 彼のもとへ向かう間、ずっと不安が胸を渦巻いていた。
 朔弦が自分を訪ねてくる理由など、ひとつくらいしか思い当たらない。
 さらに詰められるか、あるいはもう、露呈(ろてい)しているのかもしれない。

「……朔弦さま」

 なるべく普段通りを装おうと思ったのに、情けなくも緊張を隠せなかった。
 ゆるりとこちらを向いた彼は、神妙な様子の春蘭を見やる。
 夜風が過ぎていく。鏡面(きょうめん)のような水面(みなも)がさざめく。

「────堂の男に会って聞いた。罪人として追われるに至った経緯(いきさつ)を」

 春蘭は息をのむ。
 もはやそのことに関して尋ねるなどという段階ではないようだ。

「…………」

 そんな彼女の動揺に、朔弦は気がついた。
 衝撃を受けたようにゆらゆらと瞳が揺れ、言葉を探しているようである。

「ど、どうか、見逃してくれませんか……」

 粛然(しゅくぜん)たる夜の闇に、不安定な息が吸い込まれる。

「なに?」

「夢幻は罪人じゃありません。陥れられただけ……。冤罪なんです」

「証拠はあるのか」

 声を震わせる春蘭の言葉に動じることもなく、冷静沈着に朔弦は返す。
 春蘭は口を(つぐ)むほかなかった。

 夢幻が罪を犯していないという証拠────結局はそれがなければ、無実であることは証明できない。

 春蘭とて朔弦と変わらなかった。夢幻の主張を信じたに過ぎないのだ。
 行動をともにしてきたこの三年間で築かれた信頼は、しかし無罪を保証するものではない。

「心証では、無実を証せない」

「……!」

 唇を噛み締めた。
 悔しいが、彼の言う通りだ。その言葉は正しい。

 春蘭は観念したように目を閉じ、深く息をついた。
 夢幻が罪人であること、そんな彼を蔵匿(ぞうとく)していたこと、秘密の数々が露呈した以上、公的な立場にある朔弦は彼や自分を捕らえるほかないだろう。
 絶望感に目眩を覚えた。

「……だが」

 おもむろに朔弦が再び口を開く。

「わたしがおまえやあの男を信じることはできる」

 はっと春蘭は目を見張り、弾かれたように顔を上げた。

 信じてくれる余地があるというのだろうか。
 冷徹な合理主義者である朔弦が、既成事実ではなく、自分たちの言葉に耳を傾けてくれるとは。

 揺るがぬ双眸(そうぼう)を見た春蘭は、その真摯な態度に応じるように、縋るように、言を紡ぎ出した────。