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「……それから、いかにしていまに至ると?」

 兵たちの判断通り、実際に死んでいても何らおかしくはなかった。
 肩に矢を受けた以上、意識があっても泳ぐことはできないはずだ。

「さあ……?」

 宋妟の短い返事と、衣擦(きぬず)れの音が聞こえる。
 彼は立ち上がり、御簾(みす)のごとく紗を上げて朔弦の前に姿を現した。
 滑らかな白銀の髪が微かに灯りを弾く。

「実は水に落ちてからの記憶がないのです。目が覚めたら、わたしは下流の方にある洞穴(どうけつ)にいました」

「誰かに運ばれた?」

「ひとつ確かなのは、そこでわたしを助けてくれたのが春蘭だったということ」

 朔弦はわずかに目を見張る。
 一方、宋妟は微笑をたたえた。

「“空白部分”とその先は、春蘭から聞いてください。これ以上、言えることは何もありません」

 彼女がどうして自分を助けたのか、それは宋妟でさえ聞いていない。
 その性分を知っていれば、大方の予想はつくが。

「……それは、宋妟殿があの者の叔父だからでは?」

「いいえ。あの子はわたしが“鳳宋妟”であることすら知りませんから」



     ◇



 庭院(ていいん)に出て月を眺めていた紫苑は、次第に大きくなる馬蹄(ばてい)の音を聞いた。

「…………」

 それが屋敷の前で止まることも、馬を駆っているのが誰なのかも、容易に予測がつく。
 門が叩かれるより先に開けると、思った通りの人物が馬から下りたところであった。

「……お越しですか、朔弦さま」

 いつもよりどこか物憂げな彼の微笑を認め、朔弦は悟る。
 ここを(おとな)った晩、紫苑は主の意向に逆らって密告したも同然なのだ。
 朔弦が真相を、春蘭の抱える秘密を掴むことを承知の上で。

 彼は愚かではない。
 ああ言えば朔弦に悟られることも重々分かっていたはずだ。
 朔弦がここへ来た理由も、分かっているはずだ。

「お嬢さまをお連れします」



 室内にいた春蘭は、ふっと戸に影が浮かび上がったのに気がついた。

「……お嬢さま」

 どこか晴れない声色を怪訝に思いつつ首を傾げる。

「どうかしたの?」

「……お許しください」

 苦しげな声がして、彼の影が揺れた。
 いったい何を謝られているのか、春蘭にはさっぱりだ。困惑して眉を寄せる。

 紫苑は俯いたまま、静かに言を紡いだ。

「……朔弦さまがお見えです」