────判断が早かった甲斐もあり、追っ手が増える前に何とか宮殿を抜け出すことができた。
市中の人混みをかき分け、不意に角を曲がったり死角を利用したりしながら疾走し、兵たちの追跡を一旦免れる。夜の闇も好都合だった。
市の一角にある店の裏手に座り込むと、乱れた呼吸を整えながら思案する。
……いったい、何が起きているのだろう。
何者かが門番兵を殺害し、書庫に火を放った。
宋妟が追われたのは、偶然そこに居合わせたから、というわけではないはずだ。
その罪を、自分に着せようとしている黒幕がいるのである。
(蕭派か……)
出る杭は打たれる────それだけでなく、そこに権力闘争が絡んでいるわけだ。
のちの禍根を絶つため、邪魔者を消すため、蕭派の者が宋妟を始末しにかかった。
策としては単純で明快だが、こうなっては無実を示すのは難しい。
宮殿へ近づくこともできない以上、錦衣衛に駆け込んで訴えることも不可能だ。
蕭派に買収でもされたのだろう。追っ手が彼らだったことからして、名乗った途端に捕縛されてしまう。
兄や親戚に助けを求めても、かえって面倒ごとに巻き込んでしまうかもしれない。
芋づる式に陥れられる可能性が高い。そうなれば儲けものだと、蕭派も目論んでいるはずだ。
やはり、いまは逃げるほかなさそうだ。
大人しく捕まって鳳家や鳳派官吏たちに害を被らせるよりは、逃亡して自分ひとりが悪人になった方がましだ。
宋妟は座り込んでいた角から立ち上がり、顔を伏せつつ再び人混みに溶け込んだ。
立ち寄った店で適当な衣を調達し、官服から着替えた。
市や人里から離れ、山の方へ向かう。丹紅山へ。
鳳家の所有するこの山であれば、いくら錦衣衛とて追っ手も軽々しく侵入できない。しばらくは安全だろう。
山の裏手には大河がある。立地的にも兵が来るとすれば陸からのはずだ。
宋妟には最悪“川を泳いで渡る”という逃げ道が用意されている。
────そうして、中腹にある洞窟を住居代わりに隠遁生活が始まったのであった。
人里からそれほど遠くない山であるために獣が生息しておらず、狩猟はできないが、かえって安全は保障されていた。肉はなくとも木の実や茸類を食糧にできる。
渓谷があるため水源も確保でき、洞窟で雨風を凌ぐこともできた。
最低限、生きていけるような環境である。
これまでとは比にならないほど素朴で過酷な生活だが、兄を含めた大切な人たちを守るためだと思えば宋妟には耐えられた。