◇
読んでいた書物を閉じた夢幻は、物憂げに耳飾りに触れた。紫水晶が蝋燭の灯りを弾く。
梢の揺れるようなざわめきが胸の内で渦巻く。
(……いつまでも、隠し通せるものではありませんね)
だんだんと堂へ迫ってくる馬蹄の音を聞き、胸騒ぎの的中を自覚した。
キィ、と軋んだ音を発しながら扉が開く。
涼やかな夜風が吹き込み、卓子の上に灯る蝋燭が、そして連なる紗の裾がそれぞれまばらに揺れた。
薄明るい堂内へ踏み込んだ朔弦は、紗の向こうに人影を捉える。
慎重にかき分けて進むと、一枚残して立ち止まった。
「……どなたが何の御用でしょう」
あくまで穏やかな声色で夢幻は問うた。
「────突然の無礼をお詫びします。わたしは左羽林軍将軍・謝朔弦と申しますが、貴殿は鳳宋妟殿でお間違いないでしょうか」
膝を折った朔弦の丁寧な態度に、呆気に取られて気が抜けてしまう。
警戒を募らせていた夢幻、もとい宋妟は一拍のちに思わずくすりと笑った。
四年前、世を沸かせた稀代の秀才。その齢ではありえないほどの躍進を見せる、謝家の次期当主。
近頃は春蘭に近づいた意図を読めずに、その存在が大いに気がかりとなっていたところだったが、まさかこのような形で相対する羽目になろうとは。
「朔弦殿。あなたの噂は聞いています。一度お会いしたかった。どうかお立ちに……わたしのような罪人に、礼を尽くす必要などありません」
あくまで名門鳳家の人間に対する敬意を表した朔弦に、内心感謝しながらもそう言った。
顔を上げた彼は言われた通りに立ち上がる。
薄手の紗の奥で、宋妟が儚げな微笑をたたえているのが分かった。
「……本当に、罪人なのですか」
朔弦は静かに尋ねる。紗越しに目が合う。
「ええ、罪人ですよ。……ただし、罪は犯していませんが」
やはり、と思った。正直なところ、そんな気がしていた。
莞永の持ってきた記録には確かに“放火”や“殺人”といった罪状が記されていた。
しかし、その方がむしろ腑に落ちず、違和感がずっと拭えなかった。
鳳宋妟が何者だったのか、朔弦も聞きかじった程度には知っている。
以前の国試で自分と同じく首席及第し、鳳家や一族に尽くしてきた彼が、そのような直情的な愚行に走るとは思えなかった。
彼であれば、もっとうまくやったはずだ。
あれほど分かりやすい罪の犯し方は似合わない。
「実際には何もかも冤罪です。ですが、世間的にはわたしは罪人でしかない。それがみなの“真実”ですから」
嘘をついているとは思わなかった。
いまさらそうしたところで意味などなく、朔弦がここへ来た理由を宋妟自身も分かっているようである。
かくして、彼は滔々と語り出した────。
読んでいた書物を閉じた夢幻は、物憂げに耳飾りに触れた。紫水晶が蝋燭の灯りを弾く。
梢の揺れるようなざわめきが胸の内で渦巻く。
(……いつまでも、隠し通せるものではありませんね)
だんだんと堂へ迫ってくる馬蹄の音を聞き、胸騒ぎの的中を自覚した。
キィ、と軋んだ音を発しながら扉が開く。
涼やかな夜風が吹き込み、卓子の上に灯る蝋燭が、そして連なる紗の裾がそれぞれまばらに揺れた。
薄明るい堂内へ踏み込んだ朔弦は、紗の向こうに人影を捉える。
慎重にかき分けて進むと、一枚残して立ち止まった。
「……どなたが何の御用でしょう」
あくまで穏やかな声色で夢幻は問うた。
「────突然の無礼をお詫びします。わたしは左羽林軍将軍・謝朔弦と申しますが、貴殿は鳳宋妟殿でお間違いないでしょうか」
膝を折った朔弦の丁寧な態度に、呆気に取られて気が抜けてしまう。
警戒を募らせていた夢幻、もとい宋妟は一拍のちに思わずくすりと笑った。
四年前、世を沸かせた稀代の秀才。その齢ではありえないほどの躍進を見せる、謝家の次期当主。
近頃は春蘭に近づいた意図を読めずに、その存在が大いに気がかりとなっていたところだったが、まさかこのような形で相対する羽目になろうとは。
「朔弦殿。あなたの噂は聞いています。一度お会いしたかった。どうかお立ちに……わたしのような罪人に、礼を尽くす必要などありません」
あくまで名門鳳家の人間に対する敬意を表した朔弦に、内心感謝しながらもそう言った。
顔を上げた彼は言われた通りに立ち上がる。
薄手の紗の奥で、宋妟が儚げな微笑をたたえているのが分かった。
「……本当に、罪人なのですか」
朔弦は静かに尋ねる。紗越しに目が合う。
「ええ、罪人ですよ。……ただし、罪は犯していませんが」
やはり、と思った。正直なところ、そんな気がしていた。
莞永の持ってきた記録には確かに“放火”や“殺人”といった罪状が記されていた。
しかし、その方がむしろ腑に落ちず、違和感がずっと拭えなかった。
鳳宋妟が何者だったのか、朔弦も聞きかじった程度には知っている。
以前の国試で自分と同じく首席及第し、鳳家や一族に尽くしてきた彼が、そのような直情的な愚行に走るとは思えなかった。
彼であれば、もっとうまくやったはずだ。
あれほど分かりやすい罪の犯し方は似合わない。
「実際には何もかも冤罪です。ですが、世間的にはわたしは罪人でしかない。それがみなの“真実”ですから」
嘘をついているとは思わなかった。
いまさらそうしたところで意味などなく、朔弦がここへ来た理由を宋妟自身も分かっているようである。
かくして、彼は滔々と語り出した────。