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「……おまえが差し向けたんだな。あの居候(いそうろう)男を」

 庭院(ていいん)へ出ると、朔弦は紫苑に言った。
 問うというよりは確かめるような口調だったが、紫苑は平然と素知らぬふりをする。

「何のことでしょうか」

 涼しい顔の彼を一瞥(いちべつ)し、気に留めることなく朔弦は悠然と後ろで手を組む。
 夜空を仰げば、濃紺の空にいくつかの星が瞬いていた。

「────以前、あの者を守るために生きていると言っていたな」

 朔弦が初めて鳳邸を訪れたときのことだ。

『おまえは随分とあの者を慕っているように見受けたが』

『ええ、わたしはお嬢さまをそばでお守りするために生きていますので』

 彼は至極当然といった態度で言いきった。その眼差しに曇りはなく、どこまでもまっすぐに澄んでいた。
 それだけが使命であると、信じて疑っていないように。

「いまも変わらないか」

「……当然です。わたしの命はお嬢さまのためにあるのですから」

「それにしては、どこか“迷い”が見えるが」

 一瞬、紫苑の双眸(そうぼう)が明らかに揺らいだ。

 あのときの彼から窺えた、春蘭に対する絶対の信頼。
 それがいまは、少し霞んでいるように感じられる。

「…………」

 自身も認めたくなかった事実と、無理矢理にでも向き合わされる。
 変化を認めざるを得ないのが情けなく、そして春蘭に申し訳ない。

「もしや、腹心のおまえも知らないんじゃないか? あの者が抱えている秘密を」

 どきりとした。跳ねた心臓の刻む素早い鼓動が、内側から追い込んでくる。
 自ずと夢幻のことが浮かんだ。
 解せないのは、彼の存在か、春蘭の態度か、どちらなのだろう。

 そう考えて不意に思いついた。
 春蘭が不可解な言動をするときはいつも、夢幻が関わっていた。
 彼女が隠そうとしているのが彼の存在であり、その理由を言えないからこそ、相対的に“秘密”が膨れ上がって収拾がつかなくなっている。

 湧き上がる疑念や不信感に蓋をして、見ないふりを決め込んできたのは、春蘭を疑いたくないからだった。
 信じられなくなるのが、何よりも恐ろしかった。

「……そうですね。わたしも存じ上げません。ですから、探ろうとしても無駄ですよ」

 紫苑は穏やかに笑んだ。
 朔弦による揺さぶりは、彼に対しては効いていないように一見感じられた。

 それほどまでに、主に対する信頼が厚いのだろうか。
 あるいは春蘭の秘密に匹敵するようなそれを、彼もまた抱えているのだろうか。そのために理解があるのかもしれない。
 直感的にそんなことを思った。思わされた。

「残念だ」