悠景が口を開く。
 太后は無言のまま彼を見やり、発言を促した。

「“あの件”っていったい何ですか」

 それについては朔弦も気になっていたところだった。
 容燕の口ぶりからして太后の弱みであることにはちがいないのだろうが、どのような内容なのだろう。

「……そなたらには関係ない」

 太后は鋭い眼差しで一蹴した。とりつく島もない。
 しかし、悠景は食い下がった。

「我々は味方ですよ!」

「隠しごとをされては適切な駒を動かせません」

 朔弦も同調して説得を試みるが、一考(いっこう)の余地もないらしく、太后の態度は変わらない。

 それどころか不安定な感情を爆発させる起因となってしまったようだ。
 太后は拳で卓子を叩きつける。

「黙らぬか! 何を言われようと話すことなどない」



 下がれ、と厳しく追い出され、ふたりはやむなく福寿殿をあとにした。
 左羽林軍へ戻る道中、一度屋舎を振り返る。

「……何なんだよ。“あの件”って」

 若干機嫌を損ねた様子の悠景が呟く。

 太后は元来欲深く、その言動の根本には権力と栄耀栄華(えいようえいが)を求める邪心(じゃしん)が見え隠れしていた。
 そのため、表に出せないような汚いことを色々してきたのは明白だ。

 しかし、そんな中でも“あの件”というものに関しては特に過剰な反応を見せ、頑なに沈黙を貫いている。

 それほどまでの出来事とはいったい何なのか────。
 朔弦は一瞬考えるように黙り込み、口を開いた。

「……妙な噂が」

 切り出された意外な言葉に「噂?」と悠景が首を傾げた。

「先の王妃さまを覚えておいでですか」

 朔弦が静かに問う。

 先の、というと先王の先代の正妃のことだ。
 すなわち現王の実母、敬眞(けいしん)王妃を指す。

「ああ、もちろん覚えてるぞ。それがどうした?」

「……敬眞王妃さまは、その座に就かれてわずか二年ほどで廃位(はいい)となっていますよね」

 そういえば、と悠景は記憶を辿る。

 敬眞王妃は王位継承者である当時の王太子(おうたいし)を殺めた犯人として、地位を剥奪(はくだつ)された上で賜死(しし)した。

 重大事件であるにも関わらず、調査期間が異様に短かったのが不自然でよく覚えている。

 ろくに調査もされないまま廃妃(はいひ)となり処刑されたのだ。
 これは王妃に対する処遇としてはありえない。

 だが、それとこれと何の関係があるのだろう。
 そんな悠景の疑問を()み取った朔弦が言を繋ぐ。

「その後、王妃になったのはどなただと?」

 そこまで呈され、ようやく悠景ははっと閃いた。

「太后さまか!」