その不機嫌そうな様子と尖った空気を受け、令嬢たちは火の粉を被りたくない一心で逃げるようにその場から駆け出していった。

「……?」

 春蘭も立ち上がろうとしたが、どうにもおかしい。
 身体に力が入らず、腰を浮かせただけですぐに座り直す羽目になった。
 ぐらりと目眩(めまい)がする。振り払おうとかぶりを振れば頭痛が助長されてしまう。

(まさか……本当に毒だったの?)

 口にした茶杯の中に仕込まれた毒が回ってきたのかもしれない。
 手足が震え、動悸が速まるにつれ呼吸まで浅くなってきた。

「大丈夫?」

 ただひとり、その場に残っていた瑠璃の令嬢が春蘭に手を伸ばす。
 背を支えるようにして立ち上がらせると、それを見た帆珠が目を吊り上げた。

芳雪(ほうせつ)、どういうつもりよ! わたしに楯突く気?」

「そんなこと言ってる場合? そもそも最初からあなたの側についた覚えなんてないけど」

「何ですって!?」

「何飲ませたか知らないけど、この子がここで死んじゃったりしたら困るのはあんたでしょ」

 春蘭は朦朧(もうろう)としながらそんな会話を聞いた。ほかの令嬢たちとは異なり、怯えた素振りは一切ない。
 朗々(ろうろう)と言を返された帆珠は苛立ちでわななくものの、二の句が出てこず背を向けた。



 芳雪は春蘭に肩を貸しながら木道を渡っていく。庭院を抜け、開門すると一台の軒車が停まっていた。芳雪の家のものである。
 いまにも倒れそうな春蘭を急いで乗せ、自身も素早く乗り込んだ。

「まったく……」

 血色が悪く蒼白な顔色で脱力している彼女を心配しながらも半ば呆れてしまう。
 帆珠も帆珠だが、得体の知れないものを一気飲みする春蘭も春蘭である。
 確かにその度胸には感心したが、勇敢なんだか無謀なんだか分かったものではない。

「ねぇ、家はどこ? どこのお嬢さんなの?」

「……ほ、う…………」

「ほう……?」

 微かに動いた唇は確かにそう紡いだ。一拍のちに理解が及んだ芳雪は仰天して瞠目(どうもく)した。

「ほうって、あの鳳家!?」



     ◇



 夜明け前から休まず馬を走らせたが、紫苑と櫂秦が鳳邸へ帰着したのは正午を跨いだ頃であった。
 奉公人に馬を引き渡すなり套廊(とうろう)の方から芙蓉が駆けてくる。

「あ、あの……! お嬢さまが────」



 春蘭は寝台の上で目を閉じていた。
 鳳邸への途次(とじ)、芳雪が手配した医員も既に屋敷をあとにしており、傍らには薬包(やくほう)と空になった器が置いてある。

 彼女が眠りについたのを見計らい、天蓋(てんがい)を閉めようと芳雪が立ち上がったとき、勢いよく扉が開かれた。