悠景の口ぶりからするに、その“ある方”とやらは春蘭や朔弦の動向を知っていたことになる。
 しかし、朔弦が悠景以外の誰かに仔細(しさい)な近況を報告するとは思えず引っかかっていたのだ。

 朔弦から伝えたわけではないのであれば、その“ある方”が春蘭を王妃に据える話を持ちかけたという可能性はないだろうか。

「…………聞いてどうする」

 間を置いて、朔弦が尋ね返す。

「もしその方が朔弦さまに協力を促してくれたなら、お礼を伝えたいと思って」

 彼の表情は微塵(みじん)も変わらない。お陰でこの憶測が合っているのかどうかを悟ることもできなかった。

「せいぜい、その方に会えるよう祈っておけ」

「……?」

 直接答えてはくれなかった。その上、普段よりも(とげ)のある声色だ。
 その理由が分からずに困惑する春蘭をよそに、彼はさらに言を続ける。

「……言っておくが、わたしはそのお方や叔父上の命令で協力を決めたわけではないからな」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 いつもの毒かと身構えたが、ちがっていた。

「えっ!?」

「ただし、共存共栄(きょうぞんきょうえい)は期待するな」

 一拍遅れて理解した春蘭が喜びを(あらわ)にする隙もない。
 全面的とはいかないまでも認めてくれた、と思ったそばから何とも冷ややかに突き放されてしまう。

「わたしはまだ、おまえを信じたわけじゃない」



     ◇



 航季が帰宅すると、ちょうど門前で帆珠と遭遇した。
 被衣(かつぎ)片手に侍女の千洛(せんらく)と出かけようとしているところであった。

 兄の姿を認めた帆珠はあからさまに顔をしかめる。
 既に療養期間は明け、彼は兵部尚書の職に復帰していた。まだ日が高いというのに、職務放棄して宮廷を抜け出してきたのだろうか。

「何でいるのよ……」

「悪いか? ここは俺の家でもあるだろ」

「そういう意味じゃないわよ。仕事は?」

「身体を休めるのも大事な仕事だ」

「ただのサボりね。兵部尚書がこんななんて情けない。兵士たちの士気(しき)が下がるのも無理ないわ」

 呆れたように大きなため息をつき、侮蔑(ぶべつ)一瞥(いちべつ)をくれてやる。
 航季は反射的に眉を吊り上げ気色(けしき)ばんだ。聞き捨てならない。

「何だと? 妹のくせに生意気な……」

「本当のことでしょ。じゃあわたし、出かけるから」

 帆珠は兄の苛立ちをさして気に留めることなく、千洛を伴って歩き出そうとした。
 待て、とその腕を掴んで引き止める。

「どこへ行くんだよ。“妃選びに備えておけ”と父上が────」

「うるさいわね、分かってるわよ!」