とはいえ、それは不承不承(ふしょうぶしょう)な選択でも惜しまれるような判断でもなかった。
 武官としても秀でていた彼は、文武両面で引く手数多(あまた)だったためだ。

 左羽林軍の将軍という地位は、何も縁故(えんこ)により悠景が便宜(べんぎ)を図ったわけではなかった。
 正真正銘、朔弦が実力で得たものである。自他ともにその能力が認められた証拠だった。

「それで、だ。朔弦を春蘭殿の指南(しなん)役につけようと思うんだがどうだ? 少なくとも妃選びが始まるまでだが」

「えっ? し、指南役……ですか?」

「ああ。今後必要になる知識は、すべて朔弦から習うといい」

「…………」

 身体の内側を冷たい血が流れていった。つい身を硬くしてしまう。
 警戒して気を張る日々は、どうやらまだしばらく続きそうである。

「ははは! まあ、そう気を落とすな。春蘭殿をいじめないよう、ちゃんと釘刺しとくから」

「いじめてなどいません」

 春蘭の意を誤解した悠景が面白がるように笑うと、不意に平板(へいばん)な声が割って入る。
 戸枠の部分にいつの間にやら朔弦が立っていた。その端麗(たんれい)な顔には、相変わらず何の表情も浮かんでいない。

「支度しろ。屋敷まで送る」

 春蘭にそれだけを言い渡すと、客間に入ることもなくさっさと(きびす)を返して行ってしまう。
 悠景はやれやれといったようにため息をついた。

「もっと優しく言えばいいもんを……。春蘭殿、どうか悪く思わないでやってくれよ」

「いえ……お気遣いなく」

 苦く笑ったものの、すぐに強張りがほどけた。

 正反対ながら、互いが互いの一番の理解者なのだろう。
 欠けた部分を補い合いながら、厚い信頼関係を築いていることが見て取れる。そう気がつくと少しばかり力が抜け、春蘭は表情を緩めた。



 ひと足先に客間から出た悠景は、門の方へ向かう朔弦を呼び止める。

「これからおまえを春蘭殿の指南役につけるからな。頼むぞ」

 豪快な笑顔とともに背を叩く。

 額に残る傷跡や筋肉質でがたいのいい身体はいかにも勇猛な武将らしいのに、こういった一面は無邪気で子どもっぽい。

 剣を握っていないときは、明朗(めいろう)で茶目っ気のある人柄が常に滲み出ていた。
 朔弦より十五も上だというのに、精神的には悠景の方が下に見える。

「指南役、ですか……」