未の刻(午後二時頃)────約束通りの刻限(こくげん)、朔弦に付き添われながら鳳邸へ帰着した春蘭は紫苑と櫂秦に出迎えられた。

「おかえりー」

「ご無事でしたか?」

「ただいま。この通り大丈夫よ」

 敷居を跨ぐことなく門前で(きびす)を返してしまった朔弦を見送ると、庭院(ていいん)を歩きながら被衣(かつぎ)を紫苑に預ける。

「どちらへ向かわれたのです?」

「謝家の別邸よ。これから三日間、わたしを試すんですって」

「試す? 何をだよ?」

 ぴた、と春蘭が不意に足を止める。反射的にふたりも立ち止まった。
 答えることなく口を(つぐ)んだため、一度その場に沈黙が訪れる。

「……ねぇ、ふたりとも」

 ややあって呼びかけられた。
 やけに改まった様子と凜然たる横顔に、空気が()いで張り詰める。

「わたし、王妃になりたい」

 驚く紫苑だけでなく、櫂秦もまた意外そうに瞠目(どうもく)した。……彼女自らそう思うときが来るとは。

 やがて衝撃から立ち直った紫苑は、怪訝(けげん)そうに眉をひそめる。
 この心情の変化は、間違いなく朔弦がもたらしたはずだ。

 いったい、何を吹き込まれたのだろう。
 いいように言いくるめられたのではないだろうか。
 彼は春蘭を利用しようという魂胆(こんたん)なのでは────。

 本来であれば喜ぶべき決断であるのに、個人的な感情のせいで素直に受け入れられず、つい邪推(じゃすい)してしまう。
 そんな紫苑の内心など知る(よし)もない春蘭は続けた。

「わたしね、いままで鳳姓に甘えてたわ。何も持ってないのに、何か遂げた気になってた。……だからつけ込まれたのよ」

 “鳳家の娘”ではない自分自身のてのひらは空っぽだった。そのことを、思い知らされた。

「だから、自分の力を持ちたい。それはほかの人を(おとし)めるためのものじゃなく、守るためのもの」

「……ふーん、なるほどな。いいじゃん、おまえらしくて。俺は嫌いじゃないぜ」

 に、と口角を上げる櫂秦の双眸(そうぼう)には興味深そうな色が滲んでいる。

 見てみたい、と思った。彼女がこれからどう戦うのか。その力とやらを手にした(あかつき)にはどう振るうのか。
 それは、純粋な好奇心かもしれない。

「……守るために、戦うのですね」

 紫苑が静かに言う。こく、と春蘭は頷いた。

 傍若無人(ぼうじゃくぶじん)悪辣(あくらつ)な蕭家の魔の手から大切な人たちを、家族を、民を────王を、守りたい。
 それはきっと自分にしかできないこと。課せられた使命でもある。

 ぐ、と強く両の拳を握り締めた。

「まずは……朔弦さまとの勝負に勝つわ」