紫苑が堂をあとにすると、往来でとある人物にばったり出くわした。光祥である。

「あれ。こんなところで会うなんてね」

「……どうも、光祥殿」

 軽く会釈を返すと、彼は肩をすくめつつ歩み寄ってくる。

「お屋敷に行ったんだけど、春蘭もきみもいないって言われてさ。施療院からの薬は櫂秦に直接渡したよ」

「恐れ入ります。……お嬢さまは少し、所用がありまして」

 別に誤魔化す必要はなかったが、何となく曖昧なもの言いをしてしまった。思わずやわい苦笑を浮かべる。

『もし────』

 彼が春蘭に向けた言葉が耳の奥で響く。

『もし、本気で嫌だって思ったら……そのときは僕が迎えにいく。ぜんぶ投げ出して、ふたりで遠くへ行こう。どこへでも連れて逃げてあげるから』

 想定していたよりずっと、光祥の想いはまっすぐで深いものであった。
 当初、紫苑が警戒していたような、気まぐれや気の迷いといった浅く薄い適当な恋心などではなかった。

 ……そのことに、気づいてしまったから。
 早耳な光祥であれば遅かれ早かれ情報を掴むだろう。紫苑の口からあれこれ告げる気にはなれなかった。

「所用、か。……残念だな、春蘭にも会いたかったのに」

「────あの、ところで」

 半ば口をつくような形で切り出す。思わせぶりな台詞に反応を示す余裕もなかった。
 話を逸らすべく別の話題を探ったら、つい(おの)ずとそこへ行き着いた。

「光祥殿は、夢幻さまについてどのくらいご存知なのですか?」

「夢幻のこと? どのくらい、って?」

「……何者なのか、とか」

 硬い表情でそう続けると、首を傾げていた光祥がふと難しい顔をして腕を組む。

「……うーん。僕も素性はよく知らないんだよね」

 もとより詮索するつもりもなかったため、当人に直接尋ねたことはない。
 自身の情報網を駆使すれば調べられるかもしれないが、いまのところその必要性も感じられなかった。

「……そう、ですか」

「────だけど、やっぱり前に会ったことあるような気がするんだよね」

 気のせいだ、と彼には鷹揚(おうよう)な微笑で一蹴されてしまったが、それにしてはいつまでも尾を引く妙な感覚である。
 そんな不可解な既視感に光祥は再び首を傾げるのだった。