春蘭は顔を上げ、揚々(ようよう)と意気込んだ。
 意外そうに朔弦が目を見張る。彼女の有する気概や器量は、既に想定を上回っていた。

「その通りだ」



     ◇



 時を同じくして紫苑は堂へ向かっていた。

 夢幻なる人物はいったい何者なのか────その問いへの答えは結局見つかっていないが、現状は味方であり、策士でもあり、道を示してきてくれたのは確かと言えた。
 理由は分からないが、鳳家への害心(がいしん)はないどころかむしろ左袒(さたん)してさえいる。

 春蘭の力になってくれるのであれば、取り巻く状況を逐一(ちくいち)報告することには意義があった。
 朔弦の動きについても伝えておきたい。

 ────そんな紫苑の背を、“男”は慎重に窺っていた。
 死角を選んで進み、密かにあとをつけていく。



「……おや、珍しいですね。おひとりですか」

 堂内へ踏み込んだ紫苑の姿を認め、夢幻はいつもと変わらない穏やかな微笑をたたえた。
 会釈を返した彼はさっそく口火を切る。

「少し、お話がありまして────」

 櫂秦の存在や彼から聞いた柊州の実態、加えて先刻(せんこく)の朔弦のことなど、ここ最近の出来事をまとめて伝えておいた。
 一連の内容を聞き終えた彼は秀眉(しゅうび)をひそめる。

「百馨湯についてはそういうからくりでしたか……。行方知れずになっていた雪花商団の頭領が、まさか鳳家の居候になっているとは」

 何の因果かこの時宜(じぎ)に例の頭領と巡り合わせるとは、幸か不幸か、春蘭はとことん劇的な運命を辿る星のもとに生まれたらしい。

「謝朔弦も腹の読めない男……。こうも急に、どういうつもりで春蘭に接触したのか」

 夢幻の中では彼の位置づけが曖昧になっていた。以前にかどわされたことを思えば、春蘭を脅かす存在であるという印象がやはり拭えない。

 報恩(ほうおん)を理由に蕭家に楯突くような浅はかな判断をするとは考えづらく、また、裏切られたとはいえ復讐に走るほど感情的な人間でもないだろう。
 端的に言えば、今回のことは朔弦らしくない。

「……信用していいのでしょうか」