大人しくふたりを見送るほかなく、紫苑はその場に立ち尽くす。
 背後からひょっこりと現れた櫂秦が「おー」と何やら感心したような声を上げた。

「あれって逢瀬(おうせ)の誘い? あいつって意外と大胆なんだな」

「そんなわけがあるか。純粋無垢なお嬢さまに限ってありえない」

 咄嗟に反駁(はんばく)したものの、ありえないと言い切れる理由は本来そこではなかった。

 櫂秦は首をすくめた。なんと恐ろしい形相だろう。
 紫苑の前で春蘭に関して不用意な発言をすることは命取りとなるかもしれない。

「……追わねぇの?」

 閉じた門を眺めたまま動かない彼に、たまらず声をかけた。
 “お嬢さま至上主義”の紫苑であれば、引きずられてでもついていきそうなものだが。

「…………」

 ただ口を(つぐ)む。ふたりはいったいどこへ行ったのだろう。
 一心同体とも言える紫苑の同行さえ認めないとはよほどの用事だ。

「邪魔をするわけにいかないからな。……朔弦さまは、きっとお嬢さまを害さない」



     ◇



「どこへ行くのですか?」

 春蘭は心底不思議そうな表情で朔弦に尋ねる。
 早々に観念し、手を引かれずともついて歩いていた。

 渡された被衣を大人しく被り、目元だけを出してきょろきょろと辺りを見回す。
 どうやらこれは彼の気遣いのようであった。

 正式に禁婚令が敷かれたいま、妃候補者が男と外出するのは体裁(ていさい)がよくない。まして兵士となど。
 それゆえに正体を隠すための代物なのだろう。

「謝家の別邸だ」

「別邸……?」

 謝家は代々武人の家系だが、高貴な気品と誇りを有する貴族の家門でもある。
 当然ながら家柄は鳳家や蕭家に及ばないが、それなりに大きく由緒(ゆいしょ)ある一族だった。

 何の因果か生まれてくる子は男児ばかりで、謝家の血を引く者は例外なく武芸に打ち込んだ。
 武科挙(ぶかきょ)では毎年首席及第者を輩出し、武官として多くの者が出仕している。

 武勲(ぶくん)に特化して言えば、他家の追随(ついずい)を許さない。
 彼らは武人として高い矜恃(きょうじ)を持っていた。

 そんな中でも朔弦は、ある意味で異質な存在と言えた。

 文武に(ひい)でる稀代(きだい)の秀才。無二(むに)の才人として名高い彼は、四年前に実施された文科挙(ぶんかきょ)、武科挙ともに首席で及第するという前代未聞の栄誉を打ち立てた。

 思慮深くも果断(かだん)に富んでいるのは、武を尊ぶ謝家の血筋と雄々(おお)しい悠景による教育の賜物(たまもの)かもしれない。
 そんな傑物(けつぶつ)である彼は、ただ淡々と続ける。

「謝家には直系の娘がおらず、こたびの妃選びには参加しない。遠縁(とおえん)に唯一“謝”という姓を持つ娘がいるにはいるが、病に()しているのでどのみち資格がない」