その端正な顔に刻まれた傷はまだ完全には癒えていないが、恐らく時間の問題だろう。顔色はよく、回復に向かいつつあることが窺えた。

「礼を言うのはむしろこちらの方だ。先の一件では、叔父ともども感謝している」

 相変わらず表情に乏しく淡々とした語り口だが、以前ほどの冷ややかさは感じられない。

「扮装して宮中へ忍び込んだり蕭家を出し抜いたり……危なっかしいが、その度胸は大したものだな。こたびは確かにおまえの大胆不敵さに救われた」

 静かに目を伏せた春蘭はそのまま俯く。ぎゅう、と膝の上で拳を握り締めた。

「……いえ。わたしは……何もしてません」

 謙遜(けんそん)でも何でもなく、それは単なる事実だ。

 証拠や医女を見出したのは光祥であり、院長を()いたのは莞永であり、その結果として航季が捕らえられた。
 悠景や朔弦を救うことができたのは偶然の賜物(たまもの)である。

 何もできなかった。()()()鳳家の娘に過ぎない春蘭には、尋問に介入する権限もなければ、医女を守ろうとしたところで王宮へ自ら乗り込む名分(めいぶん)もなく、ただ誰かを頼って一任する以外になかった。

「……悔いる必要はないだろう」

「……!」

「少なくともわたしは、おまえのしてきた選択が間違っていたとは思わない。考えてもみろ。おまえがいなければ、いまと同じ結果になっていたと思うか?」

 ……きっと、そんなことはないのだろう。
 ささやかだろうが微力だろうが、春蘭は確かにふたりを救うべく一件に関与していた。歯車のひとつとして。

 それがなかったら、こうして朔弦と話している未来もなかったかもしれない。

「わたしと叔父はおまえに命を救われた。それは揺るぎない事実だ。少しは素直に感謝されたらどうだ?」

 思わぬ言葉にそろりと顔をもたげる。彼の双眸(そうぼう)にどこか優しい色を見た。

 煌凌にはああして大口を叩いておきながら、結末を知って誰より自責の念に駆られていたのは春蘭だったのかもしれない。
 彼のお陰で、がんじがらめに心を締めつけていた(つた)がほどけていった。

 春蘭の表情が和らいだのを見た朔弦は蓋碗を手に取る。
 その瞳にうっすらと涙が滲んでいることには気づかないふりをして、香り立つ茶を含んだ。

「────ところで」

 こと、と茶托(ちゃたく)に碗を戻して切り出す。

「昼間、町でおまえを見かけた。一緒にいたあの男は誰だ」