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 夢幻を堂まで送り届けたあと、帰宅した春蘭は紫苑とともに鳳邸の門を潜った。
 花の咲き誇る庭院(ていいん)を通り抜け、自室のある側へと回る。

「おー、おかえり」

 套廊(とうろう)端の欄干(らんかん)に頬杖をついていた櫂秦が、気だるげな笑みとともにひらひらと手を振って出迎えた。

「ただいま。ずっとそこで待ってたの?」

「まぁな、部屋(こも)ってるのも暇だから風に当たってた」

 緩慢(かんまん)としながらも滑るようになめらかな所作で立ち上がり、軽やかに庭院へと飛び降りる。

「な……」

 怪我人であることを忘れるほどの身軽さだ。唖然とした。
 動作が緩やかなのは鈍いのではなく、大雑把(おおざっぱ)ながら悠々(ゆうゆう)としているという彼の性質なのだろう。

「……何してる、このばか。もっと自分を(いた)われ! いまの衝撃で傷が開いたらどうするんだ」

「そうよ、安静にしてなきゃ!」

「大丈夫だって。痛くも(かゆ)くもねぇし」

 思わぬ行動に慌てるふたりとは打って変わって、櫂秦はけろりと言ってのけた。実にあっけらかんとしている。
 想像以上に超人じみた生命力と気力の持ち主なのかもしれない。

 さらに言を続けられる前に、櫂秦はふたりに歩み寄った。真面目くさった顔で口を開く。

「それより、ちょっといいか? ……おまえらに話がある」



 鏡面(きょうめん)のような池がさざめく。
 あたたかい日和(ひより)が続いたからか、白や桃色の睡蓮(すいれん)可憐(かれん)に咲き漂っていた。

 庭院からは白塗りの橋が伸び、池亭(ちてい)へと渡ることができるようになっている。

 舟のように浮かんでいるその東屋(あずまや)へ踏み入ると、三人は陶製(とうせい)の円卓を囲んだ。

 ────そよ、と(はり)から垂れる(しゃ)(とばり)が風に揺れる。花香(はなか)を運ぶたおやかな風であった。

 まさしく絶佳(ぜっか)の景が広がっているが、櫂秦にはそれを楽しんでいる心の余裕はなかった。
 出された茶に手をつけることも忘れ、険しいほど真剣な表情をたたえる。

「話って……?」

「柊州のことだ」

 端的に答え、眉根を寄せた。

「実はいま、ある集団が柊州全体を支配してる。州民に年貢(ねんぐ)を納めさせたり、気に食わなければ懲罰(ちょうばつ)とか言って暴力を振るったり……もう、無法地帯だ。州府は見て見ぬふりで、州牧(しゅうぼく)もさっさと逃げ出した」