春蘭はいったい何を案じているのだろう。
 軒車を飛び出していったときもいまも、尋常ではない焦り方をしている。

 夢幻は身体が弱いという話だったが、本当にそうなのだろうか。

 その割に真っ先に案じたのは体調ではなかった上、先ほどのやり取りからは、別のところに懸念があるように思われた。

 素早く軒車へ乗り込んだ春蘭は小窓を閉め、さらには窓掛(まどかけ)まで下ろしてしまう。

「紫苑、うちへ帰る前にお堂に寄ってくれる?」

 ただならぬ雰囲気に戸惑いつつ、一度夢幻に目をやってから頷く。

「……かしこまりました、お嬢さま」

 静かに扉を閉め、馭者台(ぎょしゃだい)へ上がる。手綱(たづな)を握ったはいいものの、思わず眉をひそめた。

(何だか……まるで身を隠しているみたいだ)

 外出を極度に(いと)うのも笠を被っていたのも、そのように感じられて不穏であった。
 当の本人よりも恐らくは事情を知っているであろう春蘭の方が、重く受け止めているようだが。

 思えばあの堂には芙蓉でさえ近づけたことはない。ごく限られた者しか立ち入れない場だ。

 まさかな、と思う反面、意思によらず膨らんでいく違和感を抱えながら紫苑は再び軒車を走らせた。



     ◇



「…………」

 そんな光景を、朔弦は遠巻きに眺めていた。
 偶然見かけたに過ぎないが、奇妙なしこりが残るような一幕であった。

(……何者だ?)

 何とも珍しいなめらかな白銀の長髪。色白で儚げな美しい顔立ち。
 顔見知りのようだったが、春蘭の行動がどうにも不自然で気にかかってならない。

 引っかかるのは、それだけが理由ではなかった。

(どことなく、見覚えがある)

 先ほどの男に既視感があるような気がするのだ。
 あれほど印象深い人物など、一度会ったら普通忘れないはずだが────。

「将軍ー、決められました?」

 ふと莞永に声をかけられ、意識が現実へと引き戻される。
 鳳邸を(おとな)う際の手土産を買いに出かけているところだった。

「……ああ、おまえに任せる」

「えっ。ちょっと待ってくださいよ! それ一番困りますって!」

 秀眉(しゅうび)を寄せ、違和感の正体を探るべく再び記憶を辿る朔弦は、無情にも莞永を置き去りにして歩いていってしまった。

「もー……」

 莞永はつい文句を垂れたい気分になった。

 初めて会ったときからこうだ。常に何事かを考えながら一歩先を行く彼には決して追いつけず、彼自身もそれを分かっているからさっさとひとりで行ってしまう。

 それでも、与えられた役目をこなすことで必死に食らいついてきた。いつだって“身勝手”とはちがうことを知っているから。
 今回も莞永は気合いを入れ、店先で手土産を真剣に吟味(ぎんみ)するのであった。