「何よりだわ」

「おまえが助けてくれたのか?」

「……“おまえ”だと? 命の恩人であるお嬢さまに無礼だぞ」

「なんだよー。いいじゃん、何でも。まあとにかく面倒かけたな」

 ぶっきらぼうなもの言いを紫苑が(たしな)めるが、男はまったく気に留めることなく、悪びれもしない。

 しかし、そのあとに続いた言葉は彼なりの礼なのだろう。たったこれだけの付き合いでも何となくそうと分かった。
 春蘭は彼に向き直る。

「あなた、名前は?」

()櫂秦。歳は十八」

 淡々と名乗ってみせた。(よわい)は春蘭より二つ上、紫苑より六つ下ということになる。

「おまえらは?」

「わたしは鳳春蘭。こっちの彼は紫苑よ」

「鳳……」

 意外そうな様子で繰り返した。
 その反応的に狙って鳳邸の門前で倒れていたわけではなさそうだ、と紫苑は考える。

 実のところ、ああして待ち構えて罠を張っていた刺客(しかく)という線も追っていたが、どうやらそうではないようだ。
 何者かの襲撃を受け、偶然そこで行き倒れていたのだろう。

「とりあえず衣を用意するわ。傷のためにも着替えた方がいいでしょ」

「そーだな、助かる」

 箸を置いた櫂秦は短く頷いた。
 どこまでふてぶてしいんだ、と紫苑は内心むっとしたものの何とかこらえる。

 芙蓉に見繕(みつくろ)わせた適当な衣を渡し、着替えるのを待つ間、部屋の外で待つことになった。

 出る間際に(とが)めるような睨みを差し向けることで、紫苑はどうにか溜飲(りゅういん)を下げたのだった。



 套廊(とうろう)へ出たとき、とんとんとん、と軽く門を叩く音が響いてきた。
 一度顔を見合わせてから、紫苑が開門しに向かう。開かれたその先には光祥が立っていた。

「やあ、ふたりとも。元気にしてる?」

 変わらぬ優しい微笑みと語り口を向けられ、春蘭は何だかほっとしつつ門の方へ寄った。
 一方で紫苑は密かに警戒しながらも、ひとまず庭院(ていいん)へ迎え入れる。

「ええ、今日はどうしたの?」

「施療院から薬のお届けだよ。怪我人がいるんだろう」

 芙蓉はあの日、施療院に駆け込んだのであった。死の(ふち)を彷徨っていた櫂秦を()てくれたのはそこの医員だ。

 施療院で賃仕事をしているという光祥はその使いで来てくれたのだろう。
 春蘭は差し出された薬包(やくほう)を受け取った。

「わざわざありがとう。……実はそうなの。さっき三日ぶりに目を覚ましたところで、いま着替えてるわ」

「とてつもなく元気で、並々ならぬ食欲もあるようですが」

「……本当に? それは凄いな」

 苦い表情で紫苑が補足すると、光祥は驚いたように目を見張った。

 往診(おうしん)をした施療院の医員は、処置を終えて帰ったあとも櫂秦のことをかなり案じていた。
 青白く生気のない顔色を見たときには諦めかけていたとか。

「でも、その様子なら安心できそうだね。何よりだ」

 ほっと息をつくと「あ、そうそう」と思い出したように切り出す。

「施療院の院長のことなんだけど……」