「……なるほど、しかし今回は放浪とはまたちがうわけですか。薬材事件や百馨湯云々(うんぬん)に関わっているのかは不明ですが、行方知れずとは不穏ですね」

「ああ……」

 夢幻は難しい顔で顎に手を当てる。
 何気なくその所作を目で追った光祥は、ふとあることに気がついた。

「ん……怪我してるのか?」

 指摘されてようやく意識が向いた、という具合に夢幻が自身の手を見やる。
 その甲には擦り傷が浮かんでいた。血は出ていないが新傷(あらきず)のようで、白い肌に鮮やかな赤色が目立っている。

「大丈夫かい? 手の傷って何かと不便だろう。施療院から傷薬をもらってこようか」

「いえ……平気です。どうかお気になさらず」

「そうか……?」

 そうは言っても、たたえられた微笑はどこか誤魔化すような曖昧さを含んでいるように感じられる。
 彼を眺めた光祥は(いぶか)しんで首を傾げるのだった。



     ◇



 帰途(きと)についた春蘭は軒車の中から外を眺め、目に飛び込んできた不可解な人影に眉をひそめた。
 ほとんど同時に気がついた芙蓉も身を乗り出す。

「何かしら……」

「ちょうどお屋敷の前ではありませんか?」

 彼女の言う通り、軒車は鳳邸のある通りにさしかかっており、謎の黒い影はその門前あたりにあった。
 (うずくま)るような姿勢で項垂(うなだ)れている。

「急いで、紫苑!」



 車輪が擦れて砂埃が立つ。
 半ば飛び降りるような形で軒車から出ると、春蘭は人影に駆け寄った。体格のいい若い男のようだ。

 無造作(むぞうさ)に下ろしている肩くらいまでの髪はぼさぼさに乱れ、着ている衣も何やら薄汚れている。
 それでも左手首に覗く銀の腕輪だけは、その輝きを失っていなかった。

「大丈夫!?」

 春蘭はすぐさま男の傍らに屈み込んだ。
 緩慢(かんまん)とした動きでどうにか顔をもたげた彼は(うつ)ろな目を向ける。

「……だれ、だ……」

 掠れた声を発した。顔面蒼白で、唇の色が()せている。
 ぐったりと浅い呼吸を繰り返し、いまにも死んでしまいそうなほど弱っているのが見て取れた。

「し、喋らないで。無理しなくていいわ!」

「どうしましょう……! ち、血が……っ」

 慌てふためく芙蓉ははっと両手で口元を覆う。

 暗色の衣をまとっているお陰で分かりづらいが、確かに男の腹部からは止めどなく血があふれていた。陽に照らされてらてらと光っている。

 意識が朦朧(もうろう)としている彼を眺め、紫苑は素早く膝を折る。慎重に怪我の具合を確かめた。

「かなりの深手のようです。お医者さまを手配した方が────」

「わたしが呼んで参ります!」

「ええ、お願い。紫苑はこの人を客室に運んでくれる?」