莞永が(なだ)めるように名を呼んでも、憤慨(ふんがい)している彼の耳には一切届いていないようだった。

 彼が言っていることは間違っていない。
 その気持ちにも感情にも理解は及ぶ。

「陛下も陛下っす! その地位にありながら、何もせずに黙って見てるだけなん、て……っ」

 ついに旺靖の脳天(のうてん)に容赦なく莞永の拳が振り下ろされた。
 彼は「痛ってぇ!」と涙目で嘆く。

「大概にするんだ! 往来で蕭家や陛下の悪口を喚き散らすなんて、とても正気とは思えない」

 どこに誰が潜んでいるか分からないのに、聞かれたらどうするつもりなのだろう。
 不敬罪に問われても言い逃れできない。

「う……」

 旺靖は頭を押さえて涙ぐんだ。
 普段は温和(おんわ)で優しい莞永だが、それゆえに怒るととても怖い。頭に直撃した拳の痛みと相まって泣きそうになる。

「すいませんでした……」

「……でも、わたしもそう思う。だから戦うわ」

 その心意気は揺らがずとも、問題はそのための手段であった。
 既に示唆(しさ)されているように“妃選び”がその舞台となるのだ。分かっていても、まだ覚悟は決まりきっていない。

「ところで、ふたりはここで何してるの?」

 ふと思い立って尋ねると、莞永が紙束を抱えた。

「禁婚令のお触れをして回ってるんです。間もなく妃選びが始まるので」

 なんと時宜(じぎ)に適ったことだろう。図らずも春蘭の気が重くなる。
 相手が王でなくとも誰かに嫁ぐなんてまだ考えられないのに、逃げられない域にさしかかっているようだ。

 ため息をつく春蘭の様子を見て、その意味を勘違いしたらしい旺靖が笑いかける。

「大丈夫っすよ! お嬢さまなら絶対選ばれますって!」

 そうではないだろう。莞永は思わず心の中でつっこむが、その意見には同感であった。

 鳳姓という無二の手札を抜きにしても、春蘭には十分に王妃の素質があると思う。

 深窓(しんそう)の令嬢ゆえの容姿や所作は言わずもがなとして、悪に屈しない強さや道義を重んじる姿勢、弱きを(いつく)しむ真心といった気立ては何にもかえがたい。

「────陛下は優しいお方ですよ」