がっ、と勢いよく手首を掴まれた。
 突然の展開に驚愕した春蘭は息をのむ。

「逃げるぞ」

「え……っ?」

 戸惑う暇もなく、彼は春蘭の手を引いて駆け出した。脇目も振らず小道を疾走していく。
 唐突に真横を風が通り過ぎ、顔を上げた紫苑はその様を見た。

「お嬢さま!?」

 状況に理解が追いつかず、呆然とその背中を見送る。
 得体の知れない男に春蘭が(さら)われている、と思い至ると、大慌てで馬に跨りあとを追いかけた。



「いたぞ!」

「追え!」

 花畑を抜けたと思ったら、どこからかそんな野太い声が飛んできた。

「なに? 何なの!?」

 春蘭は振り向きざま、追ってくる屈強な男たちを捉えた。
 浅黒く大きな図体の彼らは毛皮をまとい、剣や斧を(たずさ)えている。

「山賊だ。捕まったら丸焼きにされる」

「な、なん……っ」

 ぞぞぞ、と寒気を覚えて青ざめた春蘭は、彼に手を引かれるがままに市井(しせい)を走り抜ける。

 道ゆく行商人(ぎょうしょうにん)の荷を倒して進路を塞いだり、碁盤目(ごばんめ)状の町を器用に縫って曲がったりしながら、どうにか山賊の追跡を振り切った。

 街路(がいろ)の曲がり角で足を止めた彼はほっと息をつく。
 春蘭は呼吸を整えながら怪訝(けげん)そうに眉をひそめた。

「それで……どういうことなの? どうして山賊になんか……」

「あやつらの根城(ねじろ)の近くにいたせいで追われる羽目になったのだ。巻き込んですまぬ」

「自分から近づいたっていうの? 信じられない!」

「こ、これには理由があったのだ」

 いったい、どんな真っ当な理由があれば山賊の根城などという危険地帯に自ら踏み込んでいくことになるのだろう。
 驚き呆れてしまい、春蘭は彼をまじまじと眺めた。

 顔立ちも身なりも整っていて、清らな文人然とした雰囲気だ。とてもそんな無謀な真似をするような人物には見えない。

「それより、そなたは────」

 彼が何か言いかけた瞬間、ぐい、とその襟首を何者かが引っ張った。

 一瞬、先ほどの山賊に捕まったのかと肝を冷やしたが、その正体は紫苑だった。

「紫苑!」

「白昼堂々、人攫いとはいい度胸だな」