国の母たるその座を蕭家に害されないためには、日夜気を張り、常に命の危険から身を守り続けなければならない。

 きっと、自由はない。
 意思や感情も壊死(えし)するだろう。むしろ押し殺すべきなのだ。

 そんな過酷な座に、望んで就きたいと思うはずがなかった。

「春蘭」

 堂から出てきた光祥が、いつになく真剣な様子で呼んだ。

「……なに?」

 振り向いた春蘭と目が合っても、普段のように麗しい微笑を浮かべることもない。
 歩み寄ってくると、そっと静かに口を開く。

「いくら蕭家を弾劾(だんがい)したいと言っても、婚姻というのは一大事だ。ましてや王に嫁ぐなんて……」

 ゆらゆらと揺れる双眸(そうぼう)はどことなく儚げで、吸い込まれるように見つめ返してしまう。

「そのためだけに春蘭の人生を犠牲にするべきじゃない。きみは鳳家の姫である前に、ひとりの人間なんだから」

「光祥……」

 普段はどこか飄々(ひょうひょう)としているが、いまばかりは正直だった。
 彼の気遣いに気がつくと、不思議と張り詰めた気持ちがほどけていく。

「……ありがと。わたしにはまだ“覚悟”なんてないし、王さまに嫁ぎたいとも思わないわ」

 それを聞き、今度は光祥が力を抜いた。
 真剣な表情は保たれているものの、切羽詰まった雰囲気はない。

「もし────」

 一歩、近づく。
 いつもであれば目くじらを立てる紫苑だが、いまは黙って顔を背けるに留まった。

「もし、本気で嫌だって思ったら……そのときは僕が迎えにいく。ぜんぶ投げ出して、ふたりで遠くへ行こう。どこへでも連れて逃げてあげるから」

 頬に触れた手はあたたかかったが、注がれる眼差しはひどく切なげであった。
 思い描いてもそんな日は来ないと、とうに悟っているように。

「……ねぇ、光祥。いまからうちに来ない? そのときのお礼としてお茶を淹れるわ」

 春蘭は()とも(いな)とも答えることなく、そう言って笑いかける。
 一拍置いて頷いた光祥の顔に戻った微笑みは、散り際の桜のごとく儚かった。



 ────鳳邸の前に軒車が止まる。

 門を開けると、庭院(ていいん)には元明の姿があった。
 官服(かんふく)を身につけているところを見ると、宮廷から帰着(きちゃく)して間もないようだ。

「お邪魔します、宰相殿」

 優美な身のこなしで会釈してみせる。完璧なまでの所作と気品であった。

「ああ、光祥くん……」

 元明はやわいながらどうにか笑みを返す。
 彼のことは以前から春蘭の友人として認知しており、たまに夕餉(ゆうげ)をともにすることもあった。

「早いのね、お父さま」

「お顔の色が少し優れないようですが……何かあったのですか?」