堂をあとにすると、春蘭は固く口を閉ざしたまま考え込んでいた。

『あなた自身が矢面に立つ覚悟です』

 そんな夢幻の言葉が頭から離れない。
 妃選びという機会を利用し、春蘭の信念が“本物”であることを示してみせろ、と言われたようなものである。

 確かに妃選びは好機だ。
 蕭家に対抗し、さらにはその勢力を削弱(さくじゃく)させる糸口になるだろう。

(でも────)

 簡単には割り切れず、気持ちの部分が追いつかない。
 父から聞いたときもそうだったが、まだ現実味がなく、どうしても婚姻に前向きにはなれない。

「……ねぇ、紫苑。王さまってどんな人か知ってたりしない?」

「王さま、ですか」

 軒車を整えていた彼はふと動きを止める。
 夢幻の言葉が響いているのだろうことは聞かずとも明白だった。

民草(たみくさ)の噂程度であれば……」

「なになに? 教えて」

「ええと……聞くところによれば、蕭容燕の操り人形だとか。孤独で情けない弱き王だと、(ちまた)ではよく言われています」

 いずれ春蘭が嫁ぐかもしれないと思うと、そんな手厳しい評価を口にするのは躊躇われた。
 しかし、それが現実なので仕方がない。

「な、なにそれ……」

 春蘭は戸惑いを(あらわ)にする。
 これもまた情勢や国情に疎かったせいかもしれないが、そんな王の実態も初耳だった。

「ていうか、蕭容燕の操り人形って────」

「……そうなのです。夢幻さまや光祥殿の案ずるところはそこなのだと思います」

 証拠や証人があるというのに、彼らが消極的だった理由がようやく分かった。
 王とは名ばかりで、実権は容燕や太后が握っているのだろう。

 何とかしてくれる、なんて幻想だったのかもしれない。
 本当に容燕の操り人形なのだとしたら、夢幻の言う通りだ。航季を捕らえても意味がない。

 もし“噂”が事実だとしたら────。

「王の妃になんてなったら逆におしまいじゃない……?」

 曇った春蘭の顔に三本の縦線が浮かぶ様が紫苑には見えた。
 言いたいことは理解できる。彼も小さく苦笑した。

 夢幻はそれこそが正攻法だとでも言いたげであったが、とてもそうは思えなかった。

 そんな王の妃になったところで、いったい何ができると言うのだろう。
 むしろ死期を早めることになりやしないかと心配になる。