恐らく容燕が手を回したのだろうが、結果として無意味なものとなった。
 尋問場での顛末(てんまつ)を聞き及び、元明は意外に思うと同時に安堵していた。

「晋莞永の主導で蕭尚書を捕らえる王命を下したと聞きました。何よりですね」

「うむ……しかし、容燕がこのまま黙っているとは思えぬ。尋問の場でも激怒していたし、余を恨んで玉座から引きずり下ろすつもりやも────」

「大丈夫、いくら何でもそこまではできないでしょう。不利な立場にあるのは彼らの方です。目に見える証拠も証人も揃っているのですから」

 見るからに恐れをなしている煌凌を励ますかのごとく穏やかに言ってみせた。
 微笑む元明に対し、王は驚いたように目を見張る。

「……? あの院長以外にも証人がいるのか?」

「え」

 一瞬にして元明の顔が強張った。嫌な予感がする。

 院長の尋問を終えてから既に一時(いっとき:約一時間)ほど経過しているというのに、医女や日誌のことが王の耳に入っていないというのは不自然だ。

 莞永たちがいかに慎重を期していても、錦衣衛で証人と認める手続きが済んでいなければさすがにおかしい。

 そのとき、ふっと扉に人影が浮かんだ。

「陛下、晋莞永です。至急お耳に入れたいことがあって参りました……」

 その沈んだ声音に眉を寄せた王は、つい不安気に元明の顔を見やる。
 思わず椅子から立ちながら「入れ」と促した。

 殿の中央を進み、莞永は王の前で一礼する。

「王命に従い、先ほど蕭航季を投獄しました。ですが……」

「どうしたのだ?」

「……証拠の記録日誌を燃やされてしまいました。それだけでなく、我々が錦衣衛へ踏み込んだときには既に証人も事切れていたようで────」

「な、何だと……!?」

 王は瞠目(どうもく)した。
 訪れた衝撃で足元がぐらつく。とん、と几案(きあん)に手をついて身体を支えた。

「……そんな」

「申し訳ありません! すべてわたしの責任です」

 その場に膝をつき、ぎゅっと目を瞑ったまま莞永が頭を下げる。項垂(うなだ)れるようであった。
 王は愕然としたまま嘆息し、力なく椅子にへたり込む。

「…………」

 厳しい表情で元明は口端を結んだ。
 落胆は禁じ得ないが、やはり、という気持ちが強く驚きはない。

 やはり一筋縄ではいかない。
 今回の件が、邪智(じゃち)深い蕭家を追い詰める端緒(たんしょ)には、やはりなり得なかった。

(……卑怯だな、変わらず)

 いまごろ容燕は火消しと航季の放免を画策していることだろう。
 王が“知らなかった”のをいいことに、強引な幕引きを強行するはずである。

 さらなる血が流れそうな予感を覚え、元明は鬱々(うつうつ)と目を伏せた。