「……黑影、おまえの仕業(しわざ)じゃないよな?」

 戸枠の方を半分振り向いて問うたが、彼は首を横に振った。端正な顔には戸惑いの色が滲んでいる。

(蕭家に味方する者が錦衣衛にいるのか?)

 不可解な思いを拭えないながら、航季は亡骸(なきがら)のそばに屈んだ。
 傍らに転がる施療院の記録日誌を拾い上げる。血に濡れてしなびていた。

(……これだな、証拠とやらは)

 ぽた、ぽた、と赤い雫をしたたらせる日誌を手に立ち上がる。

「おまえはこの死体を始末しておけ」

「御意」

 淡々と頷いた黑影が造作(ぞうさ)もなく医女の遺体を抱えたのを横目に、航季は屋舎をあとに前庭(ぜんてい)へ出た。
 常置してある松明(たいまつ)の炎に記録日誌を近づける。

 ゆらりと燃え移った火が、瞬く間に日誌を包み込んでいった。
 燃えた部分から灰になって、はらはらと宙を舞いながら地に落ちていく。

 すべてが燃え尽きると、かろうじて形を保っていた日誌の灰を思いきり踏んづけた。
 ぐしゃりと潰され、ただの粉塵(ふんじん)になる。もはや原型の面影などそこには一切なかった。

「ふ、はは……っ! くくく」

 なぜだか無性に可笑しくて、笑いが込み上げてくる。
 あの女が命懸けで守ったものが、たったいまただの灰塵(かいじん)と化したのだ。あまりにも滑稽(こっけい)だ。

 ぐしゃ、ぐしゃ、と、航季は高笑いしながら何度も何度も灰を踏みつけ続けた。
 ────これで、蕭家の罪も消え失せた。

「蕭航季っ!!」

 怒気を(はら)んだ誰かの声が飛んでくる。
 振り上げた足をそっと地につけ、航季は億劫(おっくう)そうに顧みた。

 兵を引き連れた莞永が向かってくるところであった。

「…………」

 せせら笑った航季は、抵抗することなくすんなりと兵たちの拘束に応じる。
 与えられた使命は果たした。捕縛されたところで罪に問われることはないだろう。

「莞永さん!」

 屋舎内に踏み込んでいた部下に蒼白な顔で呼ばれた。
 一室に残る血痕を認めた莞永は、そこで何が行われたのかまで即座に察した。再び前庭へ飛び出す。

「おまえ……っ!!」

 縄をかけられ跪かされていた航季の胸ぐらを乱暴に掴み、無理やり引っ張り上げた。
 彼は薄気味悪いような満足気な笑みを浮かべたまま、ゆったりと莞永の目を見返す。

「証人の医女をどうした!」