「な、何だと!?」

 もしや、昨晩痛めつけたことが原因だろうか。
 そう思い至って冷や汗をかいたが、即座にその考えを打ち消す。

 そもそも、あの男の態度に腹を立てたためにあのような行動に走ってしまったのである。
 “あれ”自体は院長の裏切りの直接的な原因ではない。助長させた可能性はあるが。

 彼の態度が豹変(ひょうへん)したこと、そして蕭家が不利になるような証言をしたことは、何かひとつの要因に帰属するはずである。

 ────何者かが会いにきて、何かを吹き込んだにちがいない。
 その人物は悠景と朔弦を救おうと動いているのだ。

 可能性として鳳家や莞永がよぎった。特に後者は朔弦の腹心の部下であるため、主を救おうと奔走(ほんそう)するのは当然だろう。
 行動をともにしていた門衛も同じだ。

 ただ、蕭家が手を回している以上、無力な彼らだけではどうすることもできず、鳳家に泣きついたのかもしれない。
 先刻推測した通り、鳳家には悠景らを救う利があるから。

「面倒なことになった……」

「それだけではないのです。航季さまを捕らえるよう王命が下され、羽林軍や錦衣衛が動いています」

「な……っ」

 尋問場には父もいたはずである。
 それにも関わらず、そんな王命が下されたというのだろうか。

「ひとまずお逃げください。宮中にいては捕まってしまいます」

「あ、ああ。……だが、逃げるのは医女を殺して証拠を消してからだ」

 蕭家や父のための最善の選択を、航季は焦りながらもしかと心得ていた。
 命にかえても守るべき役目である。



 錦衣衛の小門を潜り、勢いよく屋舎へ飛び込んだ。
 蕭姓を盾にし、官位を利用し、王命をもとに動く兵たちを足止めする。

 回廊(かいろう)を突き進みながら剣を抜き、荒々しく一室の扉を開け放った。

「……っ!?」

 予想だにしない光景が飛び込んでくる。

 半蔀(はじとみ)や扉の障子紙が赤黒い血飛沫で染まっていた。
 床に広がる血溜まりの上に、控えていたはずの医女が横たわっている。

「どういう、ことだ……」

 鉄くさいにおいがあとから鼻についた。彼女の肌は白く()せ、生気のない色をしている。
 その首を切り裂く深い傷を認め、航季は困惑して立ち尽くした。

「誰が……」

 いったい、誰が医女を殺めたのだろう。