よく晴れた空を薄く透けた雲が覆い、柔らかな風が花香(はなか)を運んだ。

 麗らかな春日和だ。
 舞い落ちる桜の花びらが、はらはらと芝の上に連なっていく。

 ────春は、何事もなく訪れた。

 数年に渡り玻璃国(はりこく)を飲み込んでいた不幸など、とうに忘れてしまったかのように。



 市井(しせい)の外れにある小高い丘には、大きな桜の木が枝を広げていた。
 淡い桃色の花が満開に咲き誇り、あたり一面を春模様に染め上げる。

 重い足取りで芝を踏み締めた幼い彼は、その根元の部分に力なく座り込んだ。

 ……たった数年で、何もかもを失った。

 母親は三年前に罪人として位を剥奪(はくだつ)された上、宮外(きゅうがい)へ追われて処刑された。
 いつだって味方をしてくれた、たった一人の兄も、同じく三年ほど前に亡くなっていた。

 死に目にも遭えず、遺体と対面することすら叶わなかった。
 こうして(じか)に動いてみたところで、足跡(そくせき)のひとつも辿れない。

 とうとう父親も病に倒れ、数日前にこの世を去ったところだ。
 最後の肉親だったのに、たったの三日しか()に服すことを許されなかった。

 彼は、正真正銘のひとりぼっちになってしまったのだ。

 頼れる者はおらず、涙を見せられる者もいない。
 周囲にいるのは敵ばかりである。気を抜けば次は自分の番だ。

 とてつもない孤独感と、今後のしかかるであろう重責(じゅうせき)の気配に怯え、抱えた膝に顔を(うず)める。

 閉じた瞼の裏に、大好きな両親と兄の姿が浮かんだ。

(もう……会えぬのに)

 暗闇の中、幻影が砂のように溶けていく────。

「どうしたの?」

 はっと目を開ける。
 突如として降ってきた声にびくりと肩が跳ねた。

 恐る恐る顔を上げると、そこには見知らぬひとりの少女が立っていた。

 まったく気配に気がつかなかった。いつからいたのだろう?
 彼は咄嗟にごしごしと目元を擦り、慌てて涙を拭う。

「そなたは……」

 少女は彼の深く沈んだような双眸(そうぼう)がさらに(かげ)ったのを見た。
 口を(つぐ)んだその態度から、精一杯の警戒心をむき出しにしているのが分かる。

「あ、わかった。迷子なんでしょ?」

 いたずらっぽく笑った少女は彼の(かく)した壁をいとも簡単に崩し去り、ひとり分空けて隣に腰を下ろした。

 迷子というわけではなかったが、わざわざ否定する気も起きなかった彼はただ怪訝(けげん)そうに見返す。

「…………」

「そんな顔しなくてもだいじょうぶよ。……なーんて、わたしも迷子なんだけどね」

「……そうなのか?」