ごお、と夜半の風が漆黒の大気を揺らしてる。


 神殿外苑の敷地内、巫女の宿舎のカリンの部屋。二人分の体温を孕んだ一つベッドの中で、愛しい来客のアリエルは「人間の恋人」の腕に抱かれてスヤスヤと眠っている。


 この分ならば「怖い夢」は見ずに済んでいるのだろう。


 カリンは龍の親友の寝顔を打ち眺めながら、ふとそんなことを考えた。


 きっとこの場所が、獣の名を冠する貴族種族たちにとって「死神の館」だからなのかもしれない。逆説のようだけれど、おそらくはそうなのだ。……なぜならば、この神殿の聖なる柩に眠る「蠍」とは、遺伝子劣化して人類に害をもたらすようになったり、暴走して悪逆を尽くしたりした貴族種族に死をもたらす役目を持っている。


 ゆえに最悪、今晩の内に殺されることがありえたとしても、半死半生で生きたまま崩壊しつつ長い時間を過ごしたり、発狂して狂ったままに放置されることはない(圧倒的な生物的強度を誇る「龍」や「狼」たちからすれば、死そのもの以上に恐るべき最悪の末路だろう)。おそらくは死神と巫女たちが死後の名誉なども守ってくれるだろう。


 感心しつつも一抹の哀れみを抱かずにはいられない。


 そしてカリンがなぜこんなことを考えるかといえば、まだ子供の時分、出会って間もない頃、アリエル自身が泣きそうな顔で告白したのだった。


 そのときの深刻な告白のことは、今でもカリンはよく覚えている。


『自分がだんだん壊れていくの。自分が自分じゃなくなっていくの。おぞましい別の何かに変わっていくことが、死ぬことよりも、もっと怖いの。それから、変わっていく最初の種子みたいなものが、最初から自分の中にあるの。……それだけでも充分に怖いけれど、だけど本当に一番怖いのは、そんなことじゃないの。バラバラになっていって、その光景に見覚えがあるの。これは自分たちの種族が造られたときの逆再生なんだって、気が付いて。そしたら最初から「自分がこの世にいたのも、自分の気持ちも、全部嘘だったんだ」って』


 DNAの本能に潜む潜在的恐怖が、幼いアリエルにそういう夢を見させたのだろう。


 幸いなことにも現時点での「龍」の種族は、平民種族との混血もあって幾分普通の人間に近づいたとはいえ、そのために性格や外貌がやや俗っぽくなりつつも逆に遺伝子は安定してると言われている(人間との混血によって、損傷・磨耗したDNAを補填や修復できる仕組みになっているらしい)。そして正常な「貴族種族」は、発狂して務めを果たせなくなるよりはまだしも死を選ぶものなのかもしれない。


 彼ら貴族種族は「平民種族(旧来人類)を愛し」「庇護者であることに誇りを抱く」ように、新しい世界の歴史が始まった創世の時点で、既に遺伝子レベルで定められ設計されているのである。


 どこまでも人間のための存在であって、「貴族」や「庇護者」という立ち居地そのものが、結局は平民である普通の人間たちから一方的に決められ、与えられたものでしかない。おまけに冷静に考えてみればすぐに思い至ることだが、「蠍の柩」が平民の巫女たちの手に委ねられている事実は、とどのつまり緊急時の「革命権」までを留保していることでもある。


 背景にある本質を見通せばどちらが「真の主人」なのかは明白で、龍の貴族たちの存在の裏に潜む悲惨さと「道具性」は誤魔化しようもない。だからそれを糊塗するために、建前の貴族の名誉や数々の儀礼も不可欠なのだ。


 強者であって、強者ではない。


 主人であって、主人ではない。


 最初から生の根源に自己矛盾を孕んだ、造られし人類の伴侶。


 もしも「人」に見捨てられたなら、「龍」や「狼」に行き場所などないのだ。


 だからカリンは胸に愛おしさが込み上げてくる。まるで子供が、一番お気に入りの「お人形」や最愛の「仔犬」でも抱くように、つとアリエルの頭を抱き寄せる。そして寝顔のおでこにキスをする。


 こんな日常の、人間との何気ない親密な触れ合いが、この龍の娘の遺伝子をプラス方向で活性化させ、安定させてくれるのだ。


(ちゃんと、私が付いててあげなくっちゃ……)


 薄目を開ける寝ぼけ眼のアリエルに「愛してる」と囁いてやると、再びまどろみに包まれながらニッコリと笑う。あどけない寝顔は無防備で、カリンを信じきっている。そういう関係に生まれついてるのだから……。


 これも一種の『運命の赤い糸』みたいなものなんだろうと、カリンは思っている。


 たとえ誰が紡ぎ定めたのであれ、その関係は紛れもない自分たち自身の一部なのだ。


 平民種族の人間たちが「庇護者」を必要とするように、貴族種族である「龍」や「狼」たちもまた、旧来人類の人々を必要としている。


 まったく、厭らしいくらいに良くできたシステムであった。


 だからアリエルとカリンが「愛し合う」こともまた、必然のなせる業なのかもしれない。


 それでも、二人にとって「手放せないもの」がここにあるのだと思う。